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題名:ゾンビへの帰属性と人間社会
報告者:トシ

 「吾輩はゾンビである。名前はまだない。」とゾンビが言う筈もないが、ゾンビには名前がない。そのゾンビとは、ハイチにおけるブードゥー教から生まれ、ある人に社会的な制裁を加える一環として存在するブードゥー儀式上での人への扱いである。すなわち、人を人としてみなすことができない者に対する人権の剥奪がその根源である。宗教上、れっきとした意味がある。そのため、死んだ人がよみがえるといった、いわゆる「映画的なゾンビ」ではない。ただし、同列すると、人が人でなくなる点は、ブードゥー教においても、映画においても同じである。
 映画におけるゾンビは、ホラーではありつつも、ゾンビ自体がもと人であり、かつ、存在する実体があるため、幽霊やおばけ、モンスター等とは扱いが異なる。いくつかのゾンビ映画ではそれが異なるものの、正統的には頭部を打ちぬく、もしくは、頭部が存在しないとゾンビも死ぬことになっている。この正統派の流れを作ったのがジョージ・A・ロメロ監督であり、ロメロの作品の中でも群を抜いて支持されているのが、図である。

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図 ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ1)

図をみると怖く感じるが、実際この映画が優れている点は、人間社会の縮図が描かれていることである。実はこの映画の製作の背景にはベトナム戦争があり、殺伐とした中に真の人間のエゴを垣間見ることができる。「本当に醜いのは、ゾンビではなく、実は人間なのだ」というメッセージが込められているのである。図のように例えゾンビになったとしても、そこにはゾンビとして生きる本能だけが存在し、ゾンビはただのゾンビだが、人の心は、ゾンビ以下のいかようにも醜くなることをこの作品は示している。本当はそちらが怖い。
 このような人間社会に対するメッセージをもった「映画的なゾンビ」は意外と少なく、図以外では、ルーベン・フライシャー監督のゾンビランドと、アメリカのテレビドラマのウォーキング・デッドぐらいであろうか。どちらも人間社会を研究する上でおすすめである。

1) http://www.amazon.co.jp/米国劇場公開版-GEORGE-ROMERO’S-DAWN-ZOMBIE/dp/B0002CHNHO/ref=sr_1_13?ie=UTF8&qid=1448325209&sr=8-13&keywords=ゾンビ (閲覧2015.8.12)



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