題名:「ゾンビがやってきた。」という意識
報告者:トシ
人一人が生きる上で、あらゆるハードルがその途中には待ち構えている。それを、陸上競技の如く容易く乗り越えられる人がいると思えば、前に立ちはだかるハードルがとてつもない高さを有した壁の如く思え、とても乗り越えられないと感じる人もいる。その思いや感じは人によって異なるものの、生涯通してハードルは決してなくなることがない。そのハードル(あるいは壁)の根源は、人と人との関係にまつわるものがほとんどであるが、そのことから、人は人との関係を築くことが如何に難しいかを示唆している。
一方、人と人との関係から生まれる仕事において、困難に直面すると、その困難にひょいっと乗り越えられればよいが、多かれ少なかれ乗り越えようと努力している側に対して、「ああーだ、こうーだ。」と文句をいう人がいるのも事実である。さらに、乗り越えようと切磋琢磨している状況に対して、駄目だしをする人もいる。その関係は、当事者がいくら努力しようとも改善できない、他者からのネガティブな影響でもあり、その影響は当事者にとって、どうにもこうにも排除できない事柄である。その時、当事者が感じる気持ちとして、表面的ではない、大人的な対応を表に出しつつ、心の底では「なんやねん。こいつ。」、「なにいっとんねん。こいつ。」と、ののしりたくなる。ある程度の様々な経験を経た人であれば、これは、「そうそう」、と納得できる事実であろう。ただし、それ自体は決して悪いわけではない。換言すれば、どうしても存在する、他人との考え方の違いが、そのような事実をもたらしている(と思わないと、一大人としてはいけないのであろう)。
このように、ある人とある人の関係において、互いに理解できない、あるいは、納得できない状況は、相手のことを「ゾンビ」と見なしたいこともしばしばである。逆に言えば、「ゾンビ」と見なすことで、納得がいく。議論しても議論しても互いに理解の疎通が得られず、傷つくだけの間柄は、まさしく「人vsゾンビ」のそれと同じ構図である。その場合、あなたは「人」側なのか、あるいは、「ゾンビ」側なのか、が重要となる。多くの人は、自分は「人」側だと、信じたいに違いない。そのため、ここで、ひとつの「人」側の例として、如何にして「ゾンビ」側から自分を守るかのサバイバルルールとして、映画「ゾンビランド」というややコメディタッチのゾンビ映画からそれを学ぶと、4つのルールが存在する。
#1有酸素運動
#2二度撃ち
#3トイレに注意
#4シートベルト
である。これを現実に即して考えると、
#1うまく逃げ切る
#2相手に2度のくぎを刺す
#3無防備は避ける
#4自分を保護する
となる。さらに、例え相手が「ゾンビ」であろうとも、映画「ウォーム・ボディーズ」のように「ゾンビ」側にも愛があると思えることも重要かもしれないし、そう思うことは、物事を円滑にする上で明らかに重要でもある。しかしながら、TV「ウォーキング・デッド」のように容赦ない対「人」側からの攻撃では、サバイバルも難しくなる。その時は自らが「ゾンビ」を演じるしかない。しかしながら、いずれにせよ、ソンビ映画は現実での社会の構造と関連が深く、人間社会を色濃く反映しているため、学ぶことも少なくはない。