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題名:ウォルト・ディズニー氏の偉大なる人物像に迫る
報告者:ダレナン

 ウォルト・ディズニーを知らない人はいないであろう。本名はウォルト・イライアス・ディズニーという。1901年12月5日に生まれ、1966年12月15日の65歳で生涯を終えた1)。日本では、数多くのディズニー映画を始め、東京ディズニーランドの存在もあり、氏が実際、どのような人物像であるかは知らなくとも、名前は少なくとも知っているであろう。端的に言えば、ミッキーマウスを生み、世界のアニメーション(アニメ)とエンタテイメントを一変させた偉大なる人物である。筆者もむろん敬愛する偉人の一人である。図にディズニー氏を示す。日本の漫画界では手塚治虫氏の存在は欠かせないが(No.63も参照)、その手塚治虫氏がことアニメに関しては、ウォルト・ディズニー氏を目標としていたことは有名である。さらに言えば、日本の、世界のアニメ界では今や名前を外すことができない、宮崎駿氏もこのディズニー氏からの流れを避けることはできない。すなわち、ディズニー氏はディズニーランドの創始者であるが、それに先立ち世界的なアニメーターの巨人でもある。世界で初めてアニメに音声を付けたのも、アニメキャラクターになめらかな動きを与えたのも、長編アニメ(映画「白雪姫と7人のこびと」)を作成したのも、すべてウォルト・ディズニー氏の手腕による1)。

図 ウォルト・ディズニー氏2)

ただし、ディズニー氏による最も有名なキャラクターのミッキーマウスが活躍する前には、ウサギのキャラクターであるオズワルトという別のキャラクターが存在した1)。しかしながら、このオズワルトは配給会社の契約により、その後に所有権を手放すこととなり、その苦い経験が後のミッキーマウスへの深い愛情に繋がる。文献1)によれば、ミッキーマウスはこのうえなく愛すべき主人公として、常に氏自身であった。そのため、ミッキーマウスに品性があるのは、氏の性格が如実に投影されているからに他ならないであろう。
 そのミッキーマウスな素晴らしきディズニー氏であるが、ディズニーランドを作った背景には、鉄道やその小道具、動く模型としての人形など、様々な模型づくりから得られた喜びと、自身の子供との当時のパーク遊びでの経験(当時のパークは、大人は楽しめなかった)が、子供も大人も楽しめるパークを作るヒントとなった1)。アニメはその過程から作成して上映して終了してしまう、言わば区切りのあるものとなるが、永遠に完成することのない、常に成長するエンタテイメントとして、氏はこのディズニーランドを誕生させた1)。そのため、東京ディズニーランドの経営の背景上でも、その他のディズニー映画と同じく、ウォルト・ディズニー・プロダクションズの持つ物語感(情報の質と量と与え方の巧みさ)を非常に大切にしている3)。パークの構成や光景、アトラクション、どれひとつをとっても、ディズニー氏がミッキーマウスからともに学んできた世界観がそこかしこにある。月並みであるが、ゆえに、ディズニーランドは夢の国3)なのである。一方、ウォルト・ディズニー氏の側には、兄のロイ・ディズニー氏が金銭面で支えたことも知られるところである1)。そのため、ウォルト・ディズニー・プロダクションズは、素晴らしい兄弟愛でも成り立っていることを、ここで伝えたい。

1) トマス, B.: ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯. 講談社. 2010.
2) https://palwai.wordpress.com/2011/12/05/happy-birthday-walt-disney/ (閲覧2017.1.10)
3) 渡邊喜一郎: ディズニー こころをつかむ9つの秘密. ダイヤモンド社. 2013.



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