題名:偶然と必然に関する符号の一致率
報告者:ダレナン
世の中の森羅万象における出来事は、その出来事に遭遇した人に対して何らかの影響を与える。一般的に、予期せぬ突然に起こったことに対しては、偶然とされ、起こりうるだろうと予期したことに対しては、必然と判断される。しかしながら、実際は、どこまでが偶然で、どこまでが必然であったのか不明であった出来事も少なくはない。それは、その出来事に出合った人が、その出来事の予測に確証がなかったためでもある。通常、予測に確証があることはほとんどないであろう。それが確証できれば、あらゆる人は人生の岐路に迷うことはないはずである。しかしながら、偶然や必然とは無関係に、奇妙な関連性がふと起こりうることもある。それが符号の一致である。
日頃気になりつつも次第に忘れ、ふと思い出した時になぜかその気になっていた出来事が突如前に現れることもしばしばありうる。例えば、誰しも、何も考えずに町を歩いて、ある看板や広告にあるキーワードを見たとき、「あれっ」と思いあたることがある。あるいは、ある人を見たときに、「あれっ」と思うこともある。往々にしてそのキーワードや人は、自分が意識の底に隠れていた、とある疑問に対する回答や、回答への道しるべであることも多い。あるいは自分の疑問そのものであったりする。その時、それを偶然とは捉え難い、何かが決定的にそこに存在する。意識の底で、自分でも意識していなかったはずの何かが、ふと目の前に現れる瞬間である。これが、自己の意識の底にあった問題への回答や疑問にまさに一致すれば、符号の一致率は100%と言えるであろう。その100%に近い符号の一致率は、実は偶然で起こるはずはない。
偶然で起こりうるはずのない符号の一致率は、まさしく何かの啓示である。これをチャンスととらえるかは、その出来事に当たった人が最終的に判断することではある。しかしながら、ロンダ・バーン1)いわくこれが「引き寄せの法則」と言えるのかもしれない。まさに発信が受信に変わる時である。
少なくとも、偶然や必然に興味のない人はこの報告書を見ることは決してないであろうが、偶然と必然について思うところのある人は、いずれ何らかの検索でもって、この報告書を眺めることもあるであろう。その検索の結果は、決して偶然ではなく、必然的と呼べる符合の一致率が備わっていて当然である。まさに当報告書に「引き寄せられた」証であり、本報告書を検索されたその人の「思い」でもある。
人の行動はその人の思考を起点にして起こる。逆に言えば、その人の思考がその人にとって当たり前の事実となれば、当たり前のようにその人の思考に基づく行動が少なからず起きる。すなわち、思考が偶然を必然へと導くことになり、その必然はやがて現実となる。ロンダ・バーンの著書1)に記載されている「引き寄せの法則」は実際にはどこまで効くのかは分からない。しかしながら、少なくとも「引き寄せる」ための自己の意思を持つことは、今後に起こりうる自分の行動にとって重要であることはよく理解できる。人の能力はこのようにして「思える」ことが、最たる能力である。
図 偶然と必然
結局は図のように、偶然の中に必然があるのではなく、必然の中に偶然がある、と思えることが重要なのであろう。この「思い」がその人の思考と行動との一致率を限りなく高める。
1) ロンダ・バーン: ザ・シークレット. 角川書店, 2015.
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