題名:神はこの世に存在するのか?
報告者:ダレナン
ひよひよと年とともに薄れていく頭の髪を鏡で見るにつれ、この世に神は存在するのか、と自問自答せずにはいられない。気がつくと、家の中に髪の毛が落ちている(報告書のNo.579も参照)こともしばしばである。その時、自然とこう口走る。
(Oh、神よ。我に髪を与えたもう)
結局、最後は神頼みであろうか(報告書のNo.349も参照)。現在は髪が薄くなれば、科学的な手法(例えば、株式会社スヴェンソンのように増毛やウィッグにて対応)でもって解決することもできるが、髪が薄くなると同時に相関的な関係にあるような次の事象、身体・精神の健康が気になる。こちらも髪の毛が落ちるのと同様に、気がつくと、どんどんと衰え始め、イメージと実像に乖離が生じる。これも、やはり神に祈ることとなる。
(神様。どうかどうか私に永遠の健康を)
しかしながら、である。神に祈っても時間の矢は止まることを知らない。その時間の矢の中で、ヒトは年とともに何かは得られるも、確実に何かは失われる。上の例では髪と健康である。方丈記を記した鴨長明は、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
(現代訳:流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいてもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では消え一方ではできたりして、長い間とどまっている例はない。この世に生きている人と住む場所とは、またこのようである。)1)
と述べたが、まさにヒトの人生とはこのようなものである。人生のうたかたは無常である。
そこで、本題である「神はこの世に存在するのか?」であるが、これも流れゆく人生の中で、あってないような回答となる。「神はこの世に存在する(しない)」、しかし、「神はこの世に存在しない(する)」。両方とも解である。ただし、間違いなく言えることは、
「Therefore, don’t pray to God to solve your problems. Pray to that part of God within you. Have the guts to fight for yourself. God wants brave souls. God wants winners, not quitters. If you cannot win, at least try to win. God loves people who try」2)
(Google翻訳:あなたの問題を解決するために神に祈ってはいけません。あなたの中の神のその部分に祈りなさい。あなた自身のために戦うために勇気を持ってください。神は勇敢な魂を求めています。神は勝者を求めています。あなたが勝てない場合、少なくとも勝つようにしてください。神は試してみる人を愛しています。)
であろう。この言葉は、映画「ポセイドン・アドベンチャー」に登場するジーン・ハックマン氏扮するスコット牧師から学んだ。神とはこのような存在である。
1) http://manapedia.jp/text/1993 (閲覧2017.12.6)
2) https://www.stmatthewsevanston.org/blog/hell-upside-down (閲覧2017.12.6)