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題名:主体と客体の交いによる人間・性への転換
報告者:ナンカイン

 世界を構成するものとして、「見るもの、知るもの」と「見られるもの、知られるもの」の2種類の存在がある1)。それぞれ、主体と客体という。
 文献1)によれば、主体とは感覚を受け取るものであり、それを意識とし、客体とは感覚を通して知ることができるものであり、それは物である、という考えとなる。そして、そこには、意識(心)や物(身体)とを区別して扱う。すなわち、意識(心)や物(身体)を分ける。その一方で、AさんがBさんを見る時、Aさんは主体、Bさんは客体となり、BさんがAさんを見る時、Bさんは主体、Aさんは客体となる説明もある2)。こちらは、両者とも意識(心)や物(身体)があり、意識(心)や物(身体)との区別はない。そこで、ここでは、ある関係が生じた時、「~する」側を主体、「~される」側を客体という区別でもって、主体と客体の定義をみなすと、図(上)のようになるであろう。しかしながら、時に、自己の中に他己を見出し、離人的に自己を眺める場合は、図(下)のようにして、自己の中にでも主体と客体も存在しうる。「見る/知る」自分と、「見られる/知られる」自分である。ただし、「見られる/知られる」自分は、始めは「見れない/知らない」自分であっても、交いが進行することで、次第に「見られる/知られる」自分となる。その交いが、セクシャリティに関するものであれば、ジェンダーとしてのアイデンティティーも揺らぎ、人間・性への転換にも悩み・苦しむ。それによって、一人の人間の中に、二人の人間・性が存在することになる。

図 主体と客体の関係

 歴史上、初めての性転換によって男性性から女性性へと生まれ変わったのは、リリ・エルベさん(男性性時代は、アイナ・ヴィーイナ氏)であるが、その経緯はトム・フーパー監督の映画「リリーのすべて」に描かれているので、鑑賞した方も多いかと思われる。まさに、アイナ・ヴィーイナ氏の中に、目覚めるリリ・エルベさんの性の、そして、生としての、二重性がうまく描かれている。
 リリという客体を目覚めさせたのは、男性性時代のアイナ・ヴィーイナ氏の妻であったゲアダ・ヴィーイナさんであるが、アイナ・ヴィーイナ氏が、ゲアダ・ゴトリプさん(妻になる前の名)と結婚し、女性と暮らすことで、かえって自分の男性的生理の虚弱さに気づき、女に支配される「喜び」といった不思議な感覚に目覚めたことが判明している3)。そうして、改めて自己の中の主体と客体を考えると、主体と客体の交いは、それが例えセクシャリティでなくとも、人間性の形成に重要な役割を果たしていることになるであろう。そう、あなたの中の主体と客体は、どのように生きているのかを、ここで改めて問いたいわけである。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/主体と客体 (閲覧2018.10.5)
2) https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5236316.html (閲覧2018.10.5)
3) 荒俣宏: 女流画家ゲアダ・ヴィーイナと「謎のモデル」. 新書館. 2016.



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