題名:ヒト社会の承認欲求
報告者:ナンカイン
本報告書は、基本的にNo.647の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書にて、他人の目から見たヒト社会の特徴を示し、そのベースには協同行動を円滑に促す公平感と共感感の相互作用の関係があることについて述べた。そして、社会的な抑止力としての他人の目についても触れた。ここでは、人間力として存在する5つの要素1) である、①自制心、②創造力、③共感力、④承認欲求(文献1)では要求としているが、ここではより深い意識からとして欲求としたい)、⑤羞恥心、の中でも他人の目と結びつきやすい承認欲求について深く考えたい。
承認欲求とは端的にいえば、ソーシャルネットサービス(SNS)の「いいね」である。クレイジーケンバンドのボーカルである横山剣氏のように、自己のかっこよさを裏付けるべく「イイネ」との素敵な発言も世の中にはあるも、誰かに認められたい「いいね」、とは多かれ少なかれ誰にでもある承認欲求となる。以前の筆者の報告書No.320でも示したが、ヒトは人からの何かしらの反応があって、こそ、人としての存在となり得る。そのため、承認欲求を満たすことは、人としての自分の存在を確認できることになる。観察的な他人の目であれば、それは直接見
図 こちらを見るチンパンジー1)
て判断するものとなるが、承認欲求は他人の目ではなく、自己の見てもらいたい、の意識に基づく。図のようにチンパンジーがこちらを見ると、ヒトは彼(彼女)に何かしなければと思うも、彼(彼女)はそこまでの意識は求めてない。先の報告書でも示したように、向社会性におけるチンパンジーはヒトの18カ月の幼児に留まる。ゆえに、図の彼(彼女)は読者に対する特別な意識はなく、同類の彼(彼女)がこの図を見ても、ヒトのようなアクションは起こさない(であろう)。横山剣氏はこのチンパンジーに向かって、「イイネ」といえども、彼(彼女)は喜ばない(いや、これは分からない)。少なくともこの図の彼(彼女)は「僕(私)にいいねをしてね。」とも、考えてはいない(と思いたい)。そこは、近縁であっても、霊長類の種としての承認欲求の違いともいえる。
ヒトは承認欲求が高まると、公と私の境界があいまいになり、公に私が流れ出し、自らを崩壊する(させる)。リア充を装う「いいね」は、自分では半ばおかしいと感じつつも、承認欲求の高まりが産み出した自己モンスターでもある。アメリカの作家のデイヴ・エガーズ氏による小説「ザ・サークル」(この10日にエマ・ワトソン、トム・ハンクスが主演で映画「ザ・サークル」としても上映される)は、SNS取り巻く状況をうまく揶揄した小説であるが、そこでも、そのモンスター感がくっきりと描かれる。しかしながら、チンパンジーは、幸か不幸か、公と私との境界が明確(逆に私が明らかでない)であり、私が公に媚びない社会性を保っている。
ヒトの承認欲求の対となるのが、前述した人間力の⑤羞恥心かもしれない。これが働けば、自己モンスターは回避できる。しかしながら、ヒトは、私が公に流れ出すと、羞恥心も公としてやがて承認欲求に呑まれる。
1) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45820? (閲覧2017.11.7)
…「ザ・サークル」の品への案内は、こちらになります。 地底たる謎の研究室のサイトでも、テキスト版をご確認いただけます。ここをクリックすると記事の題名でサイト内を容易に検索できます。