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題名:本日、肉祭り
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1251の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 矢継ぎ早に繰り出さされるそのイメージは、「いらっしゃいませ。何にしやすか」として、ロバート・岡崎に通じる現象であるが、だからといって、そのイメージは、更新されずに堂々巡りの日々でもある。そういえば、こういうことを書くつもりで画面の前に座ったのではなかったはずだ。確か、明確なイメージが、ビジョンが浮かび、それに基づいて、最初は記述するはずであった。しかしながら、ともすれば、別の会話が間に挟まれることで、すっかりとその前のイメージを忘れてしまう。そうして、失われる何かは、失われるイメージは、人生そのものであり、日が昇り、日が沈み、繰り返す日々の営みの中で、やがて風化してしまう。だから、ここにしたためる。それが限りなく意味のない内容であったとしても、明確だったはずのそのイメージをもとに記述するのだ。それは、絵を描くが如く、真っ白なキャンバスに線を引き、空間を作り出す作業にも似ている。あるいは、空間にある空気を振動させることで作り出される音にも似ている。そのレベルが高いか、低いかだけの違いだけである。ここに記述される文章のレベルは低くとも、後に何かの精神的な空間の区切りとして、点と線から面へとつながれる。ヴァリシー・カンディンスキーの「幾何学の点はわれわれのイメージでは沈黙と発現との、最大の、この上なく結合である。」1)との意見によって、点となる語句をつなぎあわせ、そこに線となる文を見出し、面となる章へと発展させるコンポジションとしての役割がある。そうして、報告書という構造体(No.1251)としての価値を、そのコンポジションから見出すのだ。
 そうこうするうちに、最初のイマージュが急に蘇る。そのイマージュはフランス語で、ある事物に対し特定の姿を想像するという意であり、英語のイメージ(image)に対応する2)。そう、「いらっしゃいませ。何にしやすか」ではなく、「そこのお嬢さん。今日は特売だよ」、「試食いかがですか」だったのだ。そのスーパー、デパート的な掛け声は、今ではあまり聞かなくなりつつあるも、その効き目は絶大であり、店頭販売の促進につながるコンポジションとしての大いなる価値がある。
 と、ここまできて、イマージュが浮かんだ手前、この先の書くことがすっかりと頭の中を空白へといざなう。キャンバスが真っ白に戻ったのだ。そこで、チラシを見る。すると、「本日、肉祭り」とあり、特売が肉であったことに気づく。なんて憎々しいチラシだ。買い物へ出かけたくなるではないか。でも、この特売はチラシがあったとしても、なぜか多くの人には内緒にしたくなる。ここに書くのもためらう。「シー、この特売、誰にも内緒よ。だって、売り切れになると困るもん」(図)と彼女もいう。その「本日、肉祭り」の言葉が、お店に多くの人を集め、肉の売り切れが危惧される。いますぐ出かけなければなるまい。

図 ないしょちゃん3)

1)カンディンスキー, W.: 点と線から面へ. 筑摩書房. 2017.
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/イマージュ (閲覧2019.6.1)
3) https://www.pinterest.jp/pin/737745982689441043/ (閲覧2019.6.1)



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