題名:タマラ・ド・レンピッカの生きた時代
報告者:アダム&ナッシュ
本報告書は、基本的にNo.929の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書にて、女流画家ゲアダ・ヴィーイナ(Gerda Wegener)さんが活躍した時代の世相について調べ、その同時代の女流画家タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka)さんについても触れた。ここでは、タマラ・ド・レンピッカさんの生きた時代に注目したい。
タマラ・ド・レンピッカさんは、1898年に生まれ、1980年に亡くなるまでの間、生涯絵を描き続けたが、その作風は大きく3つの時代に区分することができる。1924年の作品”リズム”から確立した技量は、いわゆるアール・デコ調の作風が主であり、フランスの美術史家Germain Bazin氏は、1925年のニューヨーク・タイム誌による絵の評にちなみ、その時代を「自動車時代の女神」と称している1)。自動車とは作品”自画像”から来る名称であり、その”自画像”は文献1)の表紙でもあるので、そちらで確認してもらいたいが、女神との通りで、絵も描けるが、タマラ・ド・レンピッカさん自体も当世の女優さん並みに美しい様相であり(図)、存在自体が時代を象徴するような人でもあった1)。ちなみに、1929年頃の写真である2)。また、この頃、雑誌の表紙も多く描き、先の”自画像”もドイツの「ディ・ダーメ」誌の表紙で、今でいえばイラストレーターとしての仕事でもある1)。その後、1955年の作品”青のアブストラクト”から、抽象画を描くようになり、1960年の作品”花びん”からは、明確な線もなくなる抽象画へと移行する。しかしながら、タマラ・ド・レンピッカさんの多くの代表作は、主にフランスで過ごした1920年代にあり、この時代は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の
図 タマラ・ド・レンピッカさん2)
狭間で、狂気の時代(仏: Les Années Folles)とも言われる。その時代は、第一次世界大戦前のパリが繁栄した華やかな時代とその文化(仏: Belle Époque)を受け継ぎつつ、クラシックスタイルからモダンスタイルへ移行していく自由と活気に満ちた繁栄の時代であった3)。
一方で、その美しさから、絵の注文主が、男爵や貴族や金持ちのハイソサエティーの人達が多く、社交界との関わりから、絵画という仕事を通じて、成功、お金、栄誉を、その時代に手にした1)。タマラ・ド・レンピッカさん自体は、ポーランドのワルシャワに生まれるも、第一次世界大戦の激動の最中で、ロシアのぺテルスブルグに移り、そして、ロシア革命でもってパリに移住し、無一文の中で、生活のために絵を描き始める。そして、次から次へと絵が売れるとともに、自らの美しさも売り、華やかな世界で一流の人に囲まれることとなる。タマラ・ド・レンピッカさん曰く、それが「私の時間」であり、この時代のタマラ・ド・レンピッカさんの絵の中の色彩、フォルム、構図、力強さは、その時代の生々しさ、勃興しかかっている時代の体温を、今も伝えている1)。
1) 石岡瑛子(構成): 肖像神話 迷宮の画家タマラ・ド・レンピッカ. PARCO出版. 1981.
2) https://thepasswordunito.com/2015/03/30/tamara-de-lempicka-larte-dessere-donna/ (閲覧2018.10.7)