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題名:今日のお題は、「見ていないものは存在すらしないのかもしれない」
報告者:ダレナン

(No.2416の続き)
 DAY5からDAY6への夢は、白大蛇だった。いや大蛇とは違うかもしれない。胴体は蛇そのものだが、黒丸の斑点があり、そして実のところ触手のようにも見えた。それが田んぼのような区画一面ににょろにょろとひしめき合ってうごめき、傍ら最も大きな頭部が四角い土管のようなところから開口していた。3つに分かれた口を大きく開け、飲み込まれるとひとたまりもない。
 そんな絵図だった。知らない誰かがその田んぼに落ち、飲み込まれていた(笑)。
 
 現実的にはのどもだいぶ楽になってきた。イソジンのおかげだろう。こういう時には役に立つイソジン。その存在は放射能事件からクローズアップされたが、安定している効き目はありがたい。ただ、「お腹がすいたー」の状態がなく、お腹にウイルスが効き始めているようだった。最後に残るのは腹と鼻かな?と妄想しつつ、鼻をかみながら映画「スローターハウス5」を見た。
 いつか見ないといけないと思いつつも、見ていなかったカート・ヴォルガネットJr原作の映画だ。小説ももっている、映画の存在も知っている、でも、読まなかったし、見なかった、そんな作品のひとつだ。本は冊子でも電子ブックでももっている。でも、読んでいない(笑)。フィリップ・K・ディックとロバート・A・ハインライン、それにスタニスワフ・レムを読んで理解することに時間を割き、当時はカート・ヴォルガネットJrまでは手が回らなかったといいわけさせてくれ、ベイビー。
 それから四半世紀。ようやく映画で「スローターハウス5」を見ることができた。
 個人的にはやはり好きな類だった。トワイライトゾーンの雰囲気。それだけですでにOKだ(笑)。ただ、断片的な感じもぬぐえないために、結局のところわからないと見る人によっては「KUSO」扱いされるかもしれない。この映画の救いは、カンヌ国際映画祭審査員賞(1972年)とサターンSF映画賞(1972年)とヒューゴー賞映像部門(1973年)を受賞したことになるだろうか。何とか賞をとっていれば、まずはじめに「すげーんだろう」とバイアスがかかってくる。もしかして映画「KUSO」もいくつかの賞をとっていれば、「KUSO」扱いされずにすむかもしれないが、今のところ賞はないしょうだ。

僕:「フライング・ロータスちゃん、賞はまだなんだろ?」

 アリス・コルトレーンを大叔母に、ジョン・コルトレーンを大叔父にもつ フライング・ロータスちゃん。本当はそれだけでも「すげーんだろう」が、自らの映画を「KUSO」扱いしていることを思えば、たぶん、僕はこう推測している。フライング・ロータス:「現代アートなんてしょせん「KUSO」のあつまりだぜ」。このことを伝えたいのかもしれないし、別に伝えたいと思って作っているのでもない。つかめそうでつかめない。観測すると結果が変わる。解釈すると結果が変わる。量子力学的な問題。「見ていないものは存在すらしないのかもしれない」(1)。今日のお題は、「見ていないものは存在すらしないのかもしれない」。

(1) https://defqon0ne.com/paradigm-shift/science-spiritual/observer-effect/



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