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題名:センスは努力で磨かれる
報告者:アダム&ナッシュ

 まずは、標題について、それがYesかNoかを問いただしたい。センスははたして努力次第で磨かれるものなのか? 答えはYesでもありNoでもある。No.159の報告書にもあるように、天才的な場合に基づくセンスは先天的なものであり、どうあがいても磨かれることはない。すなわち、これはNoになる。しかしながら、秀才的な場合に基づくセンスは後天的な要素も多く、それに関しては磨くことも可能ではある。そのため、方法を知って、やるべきことをやり、必要な時間をかければ、センスは誰にでも手に入る1)。これがYesとなる。
 ここでセンスについて捉え直してみると、センスとは物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働きや感覚のことであり、判断力や良識のことでもある2)。一般的な意味で、「あの人はセンスがよい」と言う場合は、前者の意味合いが強く、「あの人の悟り感覚はよい」と言い換えることができるであろう。そこで、今度は、その悟り感覚について捉え直すことが必要となる。これについては、「膨大な知識の集積から引き出される客観的な見る目」1)が、それに相当するであろうか。ただし、「膨大な知識の集積から引き出される客観的な見る目」に関して考え直すと、実はこれは人工知能が最も得意とする能力でもある。膨大な情報から、主観的な感情なく、客観的に最適なデータを引き出せる人工知能は、はたしてセンスがよいと言えるのか。あるいは、センスがよくなるのか。この辺については今後の人工知能の成り行きに任せるしかない。
 一方、人工知能が何らかの悟りを開くには、何らかの意識化も必要となる(No.130を参照)。第六感(*)は、ヒトの意識化の最たるものであり、これは悟りとも通じ、ある意味、センスとも言える。この辺の第六感が、ヒトと人工知能のセンスの境目ともなるのであろうか。
 センスを磨くためには知識も欠かせないが1)、センスのよい人のプロセスから何らかのヒントも得ることも自身の第六感を鍛えることになるかもしれない。特に写真や絵画、イラストなどはデザインする上で、自身の第六感がものを言う。例えば、Serbiaの写真家であるJovana Rikalo氏のサイト4)を覗くと、非常に魅了されて

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図 写真家Jovana Rikalo氏のサイト4)

しまう。氏のセンスを、自身の知識の蓄積から、やがて第六感へと代えることが出来るのかは分からないが、氏曰く、「I don’t want it to look unnatural but naturally unreal.」がとても素晴らしい。

* : 理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのこと3)
1) 水野学: センスは知識からはじまる. 朝日新聞出版. 2014.
2) https://kotobank.jp/word/センス-550321 (閲覧2016.5.26)
3) https://ja.wikipedia.org/wiki/第六感 (閲覧2016.5.26)
4) http://jovanarikalo.com/ (閲覧2016.5.26)



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