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題名:今日のお題は、「恥ずかしながら、方便な愛の本質」
報告者:ダレナン

(No.2688の続き)
 AIを利用してまず思うのが、画像では意外と同じ人物を描くのが難しいとのことだろうと思います。そこでシードなるものがあるのですが、それで似ているか似ていないのかよくわからなくなってくる(笑)。前回と前々回でそれを実施してみましたが、似ているか似ていないのかよくわからなくなってます(笑)。AI生成への目が肥えたのでしょうか?(笑)。

 一方で、ストーリー自体は自らの体験に基づくプロンプトであっても、画像はそうはいかないんだなぁ、ですね。なんかこう、自分の意図する雰囲気に仕上げるかつ同じ彼女・同じ彼女・同じ彼女に仕上げるのはなかなか難しいことがわかりました。頭の中では明確に当時の彼女からの映像が浮かんでいるにも関わらず、です(本当?それって本当?(笑))。
 あともう一つ、優等生なAIではプロンプトの単語によっては、「このコンテンツは利用規定に違反している可能性があります。」と出やすようです。例えば、英語ではsexual、日本語では官能的みたいなのが、どうも優等生AIちゃんには気に食わないようです。でも、それって、人間的な営みって、基本は”性”から来るんじゃないの?って思っちゃうので、それがアウトとされたら、

僕:「AI(愛)ちゃんて、名前のわりに愛の本質について知らねーじゃん」

と思っちゃいます。まぁ、たぶんに、裏社会ではすでに裏AIの進化が進んでいると思いますけど(笑)。
 で、やっぱ、裏とあれば表もある。で、表があれば裏もある。社会の構成員はみな聖人なわけではない。それはもう53年間の人生で存分に学んだわけです。思う存分あびたパワーなハラスメントな僕としてはPTSDとしてしっかり精神にその人の本質が刻まれておるのです(笑)。
 それは例えば「恥ずかしいぐらいにバーホーベン」とした監督ポール・バーホーベンにしてみると、彼は2作目に映画「娼婦ケティ」という作品を残しているわけです。とても映画「ロボコップ」と同じ監督とは思えませんよね。ま、「娼婦ケティ」を今しがた見ているわけですが、彼にとってはハリウッドで名を残せたが、結局は”人間の本質”について描けていなかった。だからこそなんかこの「娼婦ケティ」の古典的な表現がこの監督の本質なんだろうとも思えます。で、そのフラストレーションが、「2000年の『インビジブル』(原題: Hollow Man)では「スタジオの奴隷になった気がした」と振り返り、「空っぽな (Hollow) 作品だ」とまで評し」(1)た後、「オランダに戻り、2006年の『ブラックブック』は25億円をかけたオランダ映画界始まって以来の大作となったが、オランダだけでは資本調達ができずフランス、イギリス、ドイツ資本からも資金提供を受けた。アメリカ時代の反省から、VFXを一切使わずに撮影されている」(1)ことだろうと思います。そう考えると、ポール・バーホーベン監督は意外と実直な監督なんだと思えます。今日のお題は、「恥ずかしながら、方便な愛の本質」。

(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・バーホーベン



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