題名:強度にえぐられる精神的な呵責
報告者:ゴンベ
本報告書は、基本的にNo.518の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
ある時に、強烈に精神に影響を及ぼす何かを見た時に、それは一生の記憶となる。よい場合もわるい場合も両方の面で残るも、その多くは、精神的な呵責に基づく内容が伴い、それゆえに、幸福的な何かよりも、呵責的な何かのほうがより残像として脳内にインプットされやすい。それは、なぜであろうか?
多かれ少なかれ、どのような人にもシャドーがある。シャドーとは、文献1)にもあるように、心理学者カール・ユング博士が作り出した概念で、人間が持つ心の闇のことであり、誰しもがネガティブな感情を持つように、それもシャドーとして含まれる。生活する上では表には出ないその人の本性でもある。そのシャドーに触れてしまう何かは、まさに記憶の痕跡となって生涯、苛まれる。それは精神が強度にえぐられた証でもある。
ポーランドのアンジェイ・ズラウスキー監督は、そのような人のシャドー面を表現するに長けた監督でもあった。残念ながら2016年の2月17日に亡くなり2)、もうすぐ命日であるが、特に、当時フランスの女優で、清純派としても有名であったイザベル・アジャーニさんを起用して撮影された1981年の映画「ポゼッション」(図)は、映像という媒体でありながらも、筆者にとって強烈な精神的な呵責として今も記憶に残っている。しかしながら、実は見たのはただの一回である。それだけこの映像にはインパクトが伴っている。
映画「ポゼッション」はジャンルとしては、非常に位置づけしにくい。ベースとしては夫婦間のヒューマンドラマでありながらも、ホラーな要素もあり、かつ、スリラーでもあり、ドキュメンタリーでもあり、ジャンルを超えた作品ともいえる。その描写はまさに、人の精神をえぐるかのようであり、イザベル・アジャーニさんはこの映画でのすさまじい演技から、第34回カンヌ国際映画祭と第7回セザール賞にて主演女優賞を受賞している。あらすじは、長い間の夫の不在によって孤独を強いられた妻扮するイザベル・アジャーニさんが、子供の世話も絶え絶えにしていることから、不審に思った夫役のサム・ニール氏は、ある日、ハインリッヒという男と浮気をしていることを発見した。そこで、夫は妻を取り戻そうとするが、妻は次第に狂気にとりつかれ始め、その浮気の実態が…である。が、この”次第に狂気”と”浮気の実態”が演技を超えた演技となり、見るものを圧倒する。そこにはキーワードとして、分裂と二重性が挙げられるが3)、ポーランドという東西分裂と二重性の非常に複雑な背景下にあったズラウスキー監督の精神を色濃く反映した映画でもあるといえよう。
図 「ポゼッション」の一場面3)
実は、この映画はNo.518に記載した女優のロザムンド・パイクさんにも強い影響を与えたようである4)。Massive Attack feat. Young Fathers の”Voodoo In My Blood”のPVを見ると、それがよくわかる。
人には誰しもシャドーがある。ただし、一般的にはそれが表には出ない。が、”影”としていつも寄り添う。
1) http://courrier.jp/amp/107004/ (閲覧2018.1.6)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/アンジェイ・ズラウスキー (閲覧2018.1.6)
3) https://www.slantmagazine.com/film/review/possession-5938 (閲覧2018.1.6)
4) http://www.wordischeap.com/interviews/ringan-ledwidge-x-massive-attack-young-fathers-voodoo-in-my-blood/ (閲覧2018.1.6)