題名:ドーナツの穴は、本当に穴なのか?
報告者:ナンカイン
穴は空間と空間を隔てるものを繋ぐ存在である。例えば、壁の穴を考えてみる。壁の穴はAという空間とBという空間を繋ぐ間に生じ、仮に壁に穴を開けてしまった人であれば、その存在を十分に認識できる。内側と外側とを繋いでしまい、「やってしまった」と反省せざるを得ない。しかしながら、ドーナツの穴の不思議さは、その穴の内側のエッジと穴の外側とのエッジが滑らかなことに原因がある。エッジがないため、くるりと一回転すると元の場所に戻る。引っかかりがまったくない。穴を開けてしまったという後ろめたさもない。
この引っかかりのない状態は、ドーナツ以外にも浮き輪などに見てとれる。浮き輪も穴に入っているものの、そこに空間の隔てはなく、入り込めば単に体を水面上に浮遊させるだけの存在となる。手は場合によっては内側にでも外側にでも位置できる。ただし、内側に両手とも入り込んでしまうと、今度は本当の穴が迫る。すなわち、AでもBでもないその下への空間へと引きずり込まれる。これを一般的には溺れるという。
ドーナツの様なエッジのない穴は、A空間とB空間が簡単に入れ替わるような無限性があり、そのため、穴というよりもむしろA空間とB空間との連続性が感じられる。ここで、ミスタードーナッツのホームペー
図 ミスタードーナツのオールドファッション、フレンチクルーラー、およびチョコリング1)
ジをのぞいてみよう。様々なドーナツがあるが、その代表としてオールドファッション、フレンチクルーラー、およびチョコリングを見てみよう。図にその3種類のドーナツを示す。オールドファッションはエッジがあり明らかに穴が存在している。フレンチクルーラーは中心に向かって渦を巻いているために、オールドファッションほどのエッジ感はなくとも、中心が穴であるとの主張が存在する。しかしながら、チョコリングではどうだろうか? 穴というよりもむしろ中心に吸い込まれる感じがあり、チョコの滑らかさがそれを一層強調している。しかしながら、吸い込まれつつも、エッジがないために内側からぐるりと回って自然とチョコ側に戻ることができる。明らかにチョコリングはA空間とB空間の境界線があいまいである。チョコといったA空間とB空間の色や味覚で隔てる物質がなければ、さらにあいまいになるであろう。
このような空間の連続性は、ミクロ的に観察すると球形と区別がつかない。すなわち、アリがチョコリング上を歩いたとしても球形かドーナツ形かは、アリには分からない2)。エッジに引っかかることなく元の場所に戻れる可能性があるからである。ポアンカレ予想の主張は、宇宙の形はドーナツ型のような穴のある形ではなく、概ね球体であること、としていたが2)、ポアンカレもきっとチョコリングが好きだったに違いない。
1) https://www.misterdonut.jp/m_menu/donut/index.html (閲覧2015.10.8)
2)ジョージ・G・スピーロ: ポアンカレ予想. 早川書房. 2007.