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題名:愛にまつわる2、3の事象
報告者:ゴンベ

 愛は人が持ちえた最たる意識の一つであろう。ヒト以外の動物においてこの、愛、という概念がどのように意識化されているかは不明ではある。しかしながら、愛があるからこそヒトは人へとなりえたことは疑う余地はない。ヒトが人たる文化を生み出した背景には、愛を含んだ宗教的な概念が、やはり重要な概念であったことにも異論はない (報告書のNo.102も参照)。
 これと同じくして、愛が存在する次元が宗教とは異なったとしても、人の形成における重要的な概念としてやはり愛は位置づけられる。ある意味、個人個人との間に交わしている概念を称すると、プチ宗教として愛が成り立ち、多くの人との間に交わしている概念を称すると、巷でいう宗教が、所謂これ(religion)に至ったのかもしれない。そのため、どれほどの科学が発達しようとも、愛と宗教は、ヒトという動物からなくなることはない。裏を返せば、愛と宗教を意識的に獲得し得ない存在、例えば、現時点での機械(人工知能)は、その点で人との大きな隔てとなる。
 一方、日本の文豪家の一人である有島武郎氏は、氏の評論において「惜しみなく愛は奪ふ」という論点を残している。その通りで、互いに愛を交わすと人は盲目となる。相手の愛というプチ宗教観をすべて自己のものとして取り込む欲望が果てしなくなる。それによって相手との精神的、あるいは、肉体的な壁を越え、一体化したいと願い、霊肉一元論を得ようとする1)。しかしながら、人と人はそのような状況下にあろうとも、時間とともに相手に対する感受性は鈍くなる。プチ宗教観の違いも見え始め、やがて、互いの心に物理的ではない距離が生じる。結果として、相手との現時点で、飽きている恋愛の2、3の事象に対して、形を変え、事を奮起し始める。例えば、異空間に飛び込む(旅行するなど)や、その空間でのみ成り立つような特別な行動をする、あるいは、その空間での特別なイベントを試行するなどでもって、違う感覚を得ようと躍起になる。しかしながら、恋は、愛へと変貌した途端に、情へと移る。それは報告書のNo.536で示したように、愛の波は常に一定に留まることがないことをも意味する。そのような状況に関してアーチストRhyeは「Open」という曲でもってフレーズ内にうまく表現している2)。

I wanna make this play
Oh, I know you’re faded
Hmm, but stay, don’t close your hands
I wanna make this play
Oh, I know you’re faded
Hmm, but stay, don’t close your hands

ただし、その根底には、

図 I’m a fool for your love.3)

I’m a fool for your love. という感情が常にある。ゆえに、愛は惜しみなく何かを奪っている、ことになろう。

1) 中村博武: 有島武郎『惜みなく愛は奪ふ』の理論. プール学院大学研究紀要 50: 25-39, 2010.
2) https://www.azlyrics.com/lyrics/rhye/open.html (閲覧2017.8.31)
3) https://68.media.tumblr.com/03c881eede38431b63a4dac6ebd9e335/tumblr_nbf0bgX50H1sv9d4vo1_250.gif (閲覧2017.8.31)



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