題名:東西のラッパー抗争に見るアメリカの音楽業界
報告者:ゴンベ
本報告書は、基本的にNo.144の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先のNo.144で謎の多いR&Bシンガーであるfrankieについて追った。彼の曲の中でも”Forever With Me”は、イタリア語の「Ti Amo」とささやきもあり、なかなか粋な曲である。そのfrankieのアルバム「My Heart Belongs To You」のプロデュサーは、チャッキー・トンプソン氏であったが、彼の背後には「バッド・ボーイ・レコード」の代表ショーン・コムズ氏ことパフ・ダディなる大物の人物もいる。このパフ・ダディとも関わりが深いのが、90年代後半の東西のラッパー抗争であり、ヒップホップが好きな人なら、この抗争による有名な事件がある。それが、西を代表する2 Pacのトゥパック・アマル・シャクール氏と、東を代表するビギーことノトーリアス・B.I.G.のクリストファー・ウォーレス・ジュニア氏の暗殺事件である1)。
アメリカでのヒップホップは、ギャングから足を洗うきっかけでもあり、社会に対するアンチテーゼでもあるために、単純な音楽だけには留まらない要素が含まれている。そのため、ラップによるバトルも過激な方向に発展しやすい。大手メディアもこれを利用して売り上げを伸ばそうとすべく、火を注ぐ。その矛先は、象徴たるアーチストが標的となる。2 Pacもノトーリアス・B.I.G.もその矛先となり、2 Pacのトゥパック・アマル・シャクール氏は1996年9月7日に、ノトーリアス・B.I.G. のクリストファー・ウォーレス・ジュニア氏は1997年3月8日に銃で撃たれた(ただし、2 Pacのトゥパック・アマル・シャクール氏は生存しているとのうわさもある2))。2人はラップを通して一時は仲良かったが、この抗争を境に一変した1)。また、当時ノトーリアス・B.I.G. のクリストファー・ウォーレス・ジュニア氏の妻であったフェイス・エヴァン氏はfrankieの「My Heart Belongs To You」にも参加しているが、この抗争があったことから、彼は一枚だけのアルバムで身を引いた可能性もある。いずれにせよ、アメリカの音楽業界ではこの両暗殺は相当に大きな出来事であった。先のパフ・ダディ&ザ・ファミリーによるアルバム「No Way Out」の”I’ll Be Missing You”は、その出来事を追悼する曲でもある。また、ノトーリアス・B.I.G.の人生を振り返る映画「Notorious」も後に製作され、アメリカの音楽業界の複雑さを物語っている。ノトーリアス・B.I.G.の写真を図に示す。とても大きな体の持ち主の方で、身長188 cm、体重179 kgであったが4)、愛嬌のある多くの人に愛される性格であったようである。彼の生い立ちからの歴史は文献5)に詳しく記載されているので、そこを参照されたい。彼の最後のアルバムは、「Life After Death」である。このアルバムは、ダイアモンドディスクにもなった。
図 ノトーリアス・B.I.G.の写真3)
1) http://www.cyzowoman.com/2014/07/post_12737.html (閲覧2016.1.12)
2) http://www.cyzowoman.com/2015/09/post_17392.html (閲覧2016.1.12)
3) https://en.wikipedia.org/wiki/The_Notorious_B.I.G. (閲覧2016.1.12)
4) http://edition.cnn.com/2012/12/07/showbiz/notorious-big-autopsy/(閲覧2016.1.12)
5) http://illegal-assembly-of-music.com/the-notorious-b-i-g/(閲覧2016.1.12)