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題名:今日のお題は、「ボンデージする老いた精神性」
報告者:ダレナン

(No.2312の続き)
 さるべーじ。それはまるでさるベージュのようにルージュでいけてないベージュなマジックのように思われる。忌野清志郎も坂本龍一もなくなり、サルはもうベージュでなくてもよいのかもしれない、さるべーじ。
 そうさるは赤なのだ。お尻が真っ赤なのだ。
 そしてそっとサルの惑星のページをめくると、そこには新たな職場という時代の幕開けがあるのかもしれない。が、おおかれすくなかれある程度の年齢の方々は、新たな職場という幕開けできない。ページをめくれない。能力のある人はいい。才能のある人はいい。新たな職場でも暗躍できる。でも、僕は、僕の本読みと同じく、ページをめくればめくるほど、目がしょぼしょぼになる。業界も業種もほとほと意気消ち〇こした頭にはもはや何も入ってこない。人生で選択したとはいえ、人生の洗濯し過ぎで衣服もぼろぼろ。もう老いた。さるべーじゅ。新しい衣服を買おうも、ムショクでお金なし。死して屍拾う者なし。隠密同心心得の条、ってすでに以前に同じようなくだりでこれまた執筆した記憶あり(笑)。今日は下痢ではないが、

「よるはくらああああーい」。

 じゃぁ、伝統を明るくすればいいじゃないか。でも、そこでも目がしょぼしょぼになる。そして再掲:おおかれすくなかれある程度の年齢の方々は、新たな電燈という幕開けできない。「その電燈、明るすぎん。だから、それって、もう伝統ちゃうで」ってな。電灯を破壊する伝統は電燈とみなせず、古きよき時代の伝統に縛られ、盆でーじとともに、ボンデージする。そしてお盆になると一往に縛られる老いた精神性。今日のお題は、「ボンデージする老いた精神性」にしよう。なんかスーコーなお題やな(笑)。

「お労しや 兄上」

 老いたんわしは。「継国縁壱/20巻・第174話「赤い月夜に見た悪夢」)「上弦の壱」と呼ばれる鬼・黒死牟(こくしぼう)に変貌した兄を見た時、縁壱はこう言った。ふだんは心の機微をあまり表情に出さない縁壱だが、兄を見て涙があふれた。」(1)。伝承文学研究の視点から読み解く、マンガのキャラクターたちが立ち向かう過酷な運命「キャラクターたちの運命論」 BY 植朗子。
 こうやって分析するのは意味がある。でも、時折、あるいは毎回こう思うのだ。「僕には、そんな漫画レビュー的な分析をしても、結局は漫画一つも書く才能がない。映画レビューにしてもそうだ。結局は創り出す才能がねーじゃねーか」。こっちもこれまた以前に執筆した記憶があるが(笑)、どんなにうまくショパンが弾けても、作曲したショパンには叶わない。そして夢も叶わない。僕は、ただの凡人。ただの係長。いや今やムショクなので係長でもない(笑)。でも、その係長の実態は「特命係長 只野仁」。どうしてもそんなキャラにあこがれる。「静かなるドン」と同じだ(笑)。

(1) https://dot.asahi.com/articles/-/68811?page=3



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