題名:抑圧された意識の無意識化の行動パターン
報告者:ナンカイン
人が生きる上で様々な出来事がある。その中でもよい出来事であり、かつ、社会的にも容認されるような内容であれば、その人の人格の一つの糧となる。一方で、人にも言えないような負の側面を持つ出来事であった場合には、社会的にも容認されにくく、それは、その人の人格の一つと根底として成り得るものの、表向きには出せない人格ともなる。これが所謂、表の顔と裏の顔に相当する。
どのような人格者であれども、人である以上、裏の顔を持つことはやむを得ない。ヒトは成体ともなると、子孫を残すべく、あるいは、それ以上の意味合いもあるが、生殖行為として社会的には営む。しかしながら、表だって自らの行為を多くの他人に伝えることは、犯罪に抵触する。動物としてのヒトであれば、それは当たり前の行為であったとしても、そこには秘めごとが生じる(報告書のNo.262も参照)。それ自体が、すでに社会的に裏の顔の側面を持つ。そのため、ヒトの成体となれば、計らずとも一つの裏の顔を持つことになる。そのような裏の顔は表立って見せることが出来ないために、意識しつつも、そこにはうまく蓋をしなければならない。これが、社会的な大人の顔となる。
かつて森高千里氏曰く、「臭いものにはフタをしろ!!(おじさんヴァージョン)」なる名曲があったが、抑圧された意識は、それと同じように巧みに蓋をしなければ、ロックンロールにはいたれない1)。人生を転がすには”もぐり”1)となって抑圧された意識をうまく掘り出すことが、大事となる。先の性的な秘めごとであれば、親しい人のみで細々と語られるに限定される。ただし、その抑圧された意識を”もぐり”ともなれずに、無理にでもゴミ箱に入れようとすると、過剰な意識は、そのゴミ箱の容量に耐えきれずにあふれ出る。図のようになんでもかんでも入れることはできない。そのため、その人の人生にとって負の遺産的な意識であったとしても、誰にも伝えられない意識であったとしても、その抑圧された意識を適宜、リサイクル、ないし、整理しないことには、蓋が開いてしまう。一旦蓋が開いてしまえば、臭いは防ぐことはできない。消臭効果の高いファブリーズ ダブル除菌でも、抑圧された意識が臭気として表に出始める。近年のネット上における様々な炎上やバッシングの多さは、匿名ゆえの抑圧された意識が臭気として表立ったと見なしうるのかもしれない。
ただし、現実の社会において、特定された個人の抑圧された意識が、表に出るとどうなるのか?
図 あふれ出るゴミ箱2)
抑圧されていたために、意識されていても、表向きにはその人自身は無意識として人格の一部を形成していると思い込んでいる。しかしながら、臭気が漏れ始めた抑圧された意識は、無意識化の行動パターンとして表面化する。それは、裏の人格の表面化に至ることをも意味する。ただし、やっかいなことに自分では抑圧されたままであると思い込むも、はたからすれば、明らかな容認ならざる無意識化の行動パターンとして見てとれる。恐るべし、意識と無意識の、意識できない交替ともなる。
1) http://petitlyrics.com/lyrics/2467823 (閲覧2017.9.21)
2) http://diysolarpanelsv.com/abfalleimer-clipart.html#gal_post_302_abfalleimer-clipart-25.jpg (閲覧2017.9.21)