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題名:のんべんだらりと書くサルに向けて
報告者:ナンカイン

 のんべんだらりとは、「だらしなく時 日を過ごすさま」とされ、この言葉を分けると、のんべん+だらりとなる。その内、のんべんは「のんびりと平然としていること」、だらりは、「だらしのないさま、かつ、状態」となり1)、意味的にはあまりよい意味ではないことが分かる。しかしながら、人はいつも緊張の中で生き続ける訳にはいかない。
 かつての人類、ヒトがまだ人ではなかった600万~700万年前は、日中はサバンナにて狩猟し、食料を見つけるとともに、大型の捕食者に常に危険にさらされ、緊張に満ち溢れて生活(当時は仕事)していた。一方、夜はというと、一説にはその前の時代の名残、すなわち、900万年前の森林で生活していた名残として樹上で寝泊まりし、安住を得ていたともされる。チンパンジーやボノボ、ゴリラ、オラウータンといった人との近縁類は、今でも樹上ベッドで就寝して捕食者からのがれているのに対して2)、ヒトのみが今では地上ベッドで寝ているのは進化の違いとはいえ、近縁者からすると、いささか奇妙な行動パターンであるに違いない。
 京都大学霊長類研究所の竹元博幸博士3)によれば、ヒトが陸上生活を選んだのは、サバンナではなく森林の中で始まった季節性の増加と乾期の延長によって陸生が促進されたことが指摘されている。このことから、やむを得ず陸生となったことが分かり、それと引き換えに人の文化を得たものの、かつてのヒトは様々な陸生に伴う危険に直面するような出来事も増えたことが類推され、そこで生じた緊張はある意味、人の社会的な特徴を形作ったのかもれない。チンパンジーやボノボは争いがあっても小競り合い程度であるが、人はその緊張をはき間違えると、集団内の意思統一から戦争にまで発展することもしばしばありうる2)。かつては捕食者の大型動物へと向けられていたヒトの意思統一が、同類への脅威となる人への意識転換でもある。少なくとも現代の生活でも、いろいろな場面で互いをなじる、叱責するなりして、緊張せざるを得ない妙な社会形態をも有している。それはひとえに、人として緊張の矛先が、同類となる人への社会性の成れの果ての順応でもあるが、そのような生活が続けば、やがて人と人の間に精神的な軋轢を課し、様々な疾病を引き起こしてしまうのは、ここで言うまでもないであろう。挨拶は人、チンパンジーなどの類人猿問わず共通に見られる親和関係の誇示でもあるが2)、人は、それすらも緊張せざるを得ない妙な社会形態として、利用する欲にまみれてしまう。
 チンパンジーやボノボ、ゴリラ、オラウータンはのんべんだらりと過ごしている訳ではない。しかしながら、人のように欲にまみれた緊張を常に有している社会形態でもない。それを示すように、自然環境の中で生きるサルに社会的不適合の固体はいないことが明らかである2)。
 そこで、ここでのんべんだらりと書くことで、己がサルとして、欲にまみれた緊張を解くことも大事であると言い訳する。鹿児島のさつま無双株式会社による芋焼酎「片瞑(かたつむり)」には副テーマとして「飲んべんだらり」とあるが、そのラベルにはさらに「焦る事なくゆっくりと ただその道を歩んでいく 時には立ち止り目を瞑り そんなふうでいい」とある。そこで、のんべんだらりとこれを書いてみた。

図 片瞑4)

1) https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6349508.html (閲覧2018.5.2)
2) 杉山幸丸(編著): 人とサルの違いがわかる本. オーム社. 2010.
3) Takemoto, H: Acquisition of terrestrial life by human ancestors influenced by forest microclimate. Scientific Reports 7: 5741, 2017.
4) https://item.rakuten.co.jp/sake-miuraya/katatumuri1800ml/ (閲覧2018.5.2)



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