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題名:うんこ文章
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1921の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 人は皆、自分の本性を知らずして、大人となる。あれだめ、これだめ、と規制され、肥溜めへと自己の人格を貶める。そういえば、近頃は田舎でも肥溜めも見なくなったなー、と回顧し、またもや蚕して、あゝ野麦峠へと至る。”あ”と”野”の間にある啓礼な記号は何だろうか?
 でも、誰が興味あるねん。これに。いやいや、そうやないで。今の時代だからこそ水洗で、推薦されている。もう肥溜めはいらんのや。それが、あゝ野麦峠。監督は山本薩夫。
 華麗なる一族。加齢なる一族。調べることで頭の中が真っ白となり、僕は、きょとんとした。そうか、それって、白い巨頭だったのか。
 あゝ野麦峠の時代は、肥溜めが標準だったんだろうな。きっと。それは、明治から大正にかけて、岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た話1)。そして、作者の山本茂実は執筆に当たり、10数年におよび飛騨・信州一円を取材し、数百人の女工・工場関係者からの聞き取りを行った1)。
 10数年…。
 ここにある文章の肥溜めとは全く違うレベル。ただ、肥溜め自体は、うんこを土の栄養に蘇らせるリサイクルシステム。そこには、芳醇な香りと潤沢な恵みがもたらされる。しかしながら、ここの文章ときたら、まったく両者に相対するものがなかった。読みがえらせるシステムもなく、ただならぬうんこ臭がする。うんこ文章だろう。
 如何して文章をシステム化しようかと躍起になるも、イカニが、如何にとならず、イカとカニになり、パスタの誘惑にほだされてしまう。要は食い気がまさってしまう。
 さっき、シズコと生しょうが入り手もみ若鶏もも竜田揚げを食べたばかりなのに、パスタが食べたいなーと若干思い始めていた。そういう時は、Youtubeで検索だ。
 「イカ カニ パスタ」と検索した。ペスカトーレが出てくる。でも、意外と、イカとカニとパスタは上位に登ってはこない。
 仕方なく、いや性懲りもなく、シズコに内緒で保管してあるPabst Blue Ribbonを箱から取り出し、服の裾で王冠を握りしめながら、くるっと手で王冠を開けた。ぷしゅとこぎみよい音がした。こぎみよいの表現があっているかも確かめずに、Pabst Blue Ribbonしたためていると、次第にお腹は、食欲よりも、飲浴がまさる。まさに、浴びるように欲するその欲は、よくよく考えれば、やはり体には良くはないだろう。また、妻のシズコに「ダリオくん、飲み過ぎよ。もうだめよ」と怒られるのも関の山だ。
 関の山? なんだこの言葉は? あんだか横綱みたいだな。
 ひが~し~、せきの~やま~
 次第に眠気が襲ったため、風呂につかった。つかりながらほぼ寝ていた。寝ていると、夢の中でクミちゃんが微笑んでいた。その横にはヒヨコがいた。あのブリキの太鼓を首から下げているヒヨコだった。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/あゝ野麦峠 (閲覧2020.12.20)



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