題名:日本の偉大なるバックパッカーの軌跡
報告者:トシ
バックパッカーという言葉をご存じだろうか。バックは英語でbackとなるため、日本語では背中、パッカーは英語ではpackerとなるため、日本語では積める人となる。この二つを合わせると背中で積める人となり、所謂意味合い的には背中でリックを担いで荷を運ぶ人となる。その意味合いの通りで、背中にリックを背負い、トレイル(森林、原野、山地などの踏み分け道)を歩く人を指してバックパッカーという。一般的な道路でもリックを担いで歩く人もバックパッカーと呼ぶが、ここではトレイルを歩く人として、限定的に使用したい。
日本では登山家の深田久弥氏による日本百名山が有名であり、かつ、日本の国土自体が山地と密接しているために、どうしてもトレイルのイメージは、登山道のそれと重なる。そのため、リックを背負ってトレイルとなると、結局は登山となる。しかしながら、バックパッカーは、登頂を目指す(ピークハント)だけではなく、山あり谷あり、森林あり、原野ありと様々なところを歩くために、登山とはやや異なる趣がある。日本でも近年はこのバックパッカーなる言葉も定着しつつあり、信越にも信越トレイルなるバックパッカーを対象としたトレイルが誕生した1)。その功労者は日本の偉大なるバックパッカーの代表者である加藤則芳氏に他ならないであろう。しかしながら、残念なことに、加藤氏は2013年4月17日に筋萎縮性側索硬化症という難病で亡くなった。享年64歳という若さである。
加藤氏はアメリカの自然保護の父といわれるジョン・ミューアに憧れ、ジョン・ミューアが開拓したジョン・ミューア・トレイルを1カ月かけて歩いた2)。その軌跡は文献3)に詳しく記述され、自称バックパッカーの人であれば、バイブルにも等しい本でもある。それもそのはずで、ジョン・ミューア・トレイルは図が示すように、アメリカのヨセミテ国立公園やシエラ森林公園、キングズキャニオン国立公園などトレイルが好きな人ならばまさに聖地でもある踏み分け道を行くのが、ジョン・ミューア・トレイルであり、ここでの加藤氏の旅の軌跡が、まさに奇跡の如く軽妙な文章で文献3)が綴られている。読むだけでもスルーハイク(距離の長いトレイルをワンシーズン以内で通してハイキングすること)で
図 ジョン・ミューア・トレイル(Google Mapより)
きる。今ではこの著書をきっかけにスルーハイクする方も増えた4)。しかしながら、その元祖は加藤氏にあることはどなたも異論がないであろう。日本のジョン・ミューアといえば、まさに加藤則芳氏であり、日本にトレイル文化なる文化を持ち込んだのも、もちろん加藤氏の存在による。
1) http://www.s-trail.net/interview/ (閲覧2017.6.6)
2) http://www.papersky.jp/2013/10/21/noriyoshi-kato/ (閲覧2017.6.6)
3) 加藤則芳: ジョン・ミューア・トレイルを行く:バックパッキング340キロ. 平凡社. 1999.
4) http://thetrailsmag.com/archives/2635/2 (閲覧2017.6.6)