題名:井の中の蛙の透視機能
報告者:トシ
井の中の蛙(かわず) 大海(たいかい)を知らずとは、古くからのことわざで、その意味は、知識・見聞が狭く、それにとらわれて広い世界があることに気づかない状態のこととされる1)。さらには、それを拡大注釈して、狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことも表している1)。ここで、井は、井戸のことを指し、蛙(かわず)は、カエルの事を指す。大海は、大きな海のことを指す。そのため、簡単にこのことわざの情景を述べると、井戸の中にずっと暮らしているカエルは、大きな海を知らない、となる。その通りで、とあるカエルが井戸の中に一生過ごしていたとすると、そのカエルは井戸の向こうに実は大きな海があった、ということを知る余地がないであろう、ということが当然のように予想される。
一方、現在はインターネットをはじめとして情報の社会である。インターネットが存在する前の身近な身の回りの情報量が遠浅の海だったと仮定すると、今の情報社会はインターネットのおかげでまさに大海である。そのため、そこへ漕ぎだす際には、おぼれないよう自前の海図が必要となる2)。考え、そして、書く。この技術を磨くことは、情報の大海での自前の海図が有効となる最良の方法であることが示唆されている2)。多くの人がサイトやブログを自前で持つことは、自分なりの海図を持つことにも相当するかもしれない。ただし、これがひと昔前、インターネットが登場する前であったら、書籍やDVDなど多くの手元資料が必要となり、さらに、書いたものを公表するにも非常に手間がかかった。しかしながら、今は逆にインターネットのお陰で、これらの流れが容易に出来るようになった。仮に、当方が蛙として、井の中にいたとしても、今や遠くの大海をも眺めることができ、まさに井の中の蛙の透視機能ともいえる装置がウェブ技術により手に入った。行ったことのない遠い島の情景や雰囲気もリアルタイムにインターネットを介して透視できる。図に透視中の井の中の蛙を示す。それでは、井の中の蛙が透視できるとなったことから、次は自前の海図の精度が今度は問題となる。大海を漕ぎだす際の船は、Intel 社のクアッドコアのCore i7のパソコンなら今の時点では豪華客船となり、その前世代のデュアルコアの Core i3でも十分に出港できる。スマートフォンならば、
図 透視中の井の中の蛙
クアッドコアのApple A10 64bit 2.3GHzを搭載したiPhone7Plusが豪華クルーザーということになるかもしれない。しかしながら、船はよくとも自前の海図の精度はなかなかままならない。気がつくと、海図を磨くよりも、透視機能で目的のない島をみつけて、サーフィンすることも多々ある。サーフィンして海ではしゃぐのもつかの間、気がつくと溺れてしまっていたなんてことにならないよう常に気をつけなければならない。
1) http://kotowaza-allguide.com/i/inonakanokawazu.html (閲覧2016.12.23)
2) 鷲田小彌太: 「自分」で考える技術. PHP研究所. 2014.