題名:Saul Leiterが見た世界、Saul Leiterから見た世界
報告者:アダム&ナッシュ
現在は多くの写真(画像)がインターネット上を始めとしてあふれており、そこにいくばくかの個性は見いだせる(報告書のNo.985も参照)。しかしながら、AI(人工知能)と同じで、何度も学習を繰り返さなければその写真における特徴を抽出することは、AIよりも柔軟性が高い人とて、やはり困難な作業である。あとは、その作者が好きか否かも、その判定するための学習には欠かせない。逆に問えば、AIはその好きか否かが、学習するポイントにはないことから、そこがAIのウィークポイントになるかもしれない。
少なくとも写真(画像)に写るモデルさんなりが、好きな俳優や女優であれば、その情報は多くあふれて、知らず知らずに知識として学習されやすい。しかしながら、作者は、その作者と同じ領域、例えば、絵画なら画家、写真なら写真家というように、同じように創作活動をしている人にとっては、被写体以上に興味のある、気になる事項であるに違いない。むしろモデルよりも、その作者ありきで、それを眺める。筆者らもどちらかと言うと、絵画、写真の創作に興味があるために、やや好みの作者に対してはひいき目となる。Saul Leiter氏もその一人であり、2015年にSaul Leiter氏のドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」が上映され、2017年に渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、日本で初めてSaul Leiter氏の回顧展も開催されたことから、知名度も上がったことに違いない。
そのSaul Leiter氏が写真において得意とするとこは、「美の瞬間」であるが、その瞬間を撮る背景には、氏の宗教観が大きく存在する。その詳細については文献2)に詳しく記載されているので興味のある方はそちらを見ていただきたいが、抜粋すると、宗教的な家庭環境で育ちながら、宗教との関わりを切断し、写真を撮る行為それ自体が、一種の人生のフィロソフィーとなることで、説くのではなく、ただ見つめる、すなわち、禅における鈴木大拙氏が説いた教えの、写真的な解釈でもあった。鈴木大拙氏と言えば、アップル社創業者、Steve Jobs氏の師でもある方であるが、Saul Leiter氏の写真から日本的な美を感じるのも、やはり禅の教えがあったことからも理解できる。そして商業的な活動とは無縁のプライベートな写真も多く残し、それらも不思議とaesthetic(審美的)な印象があるのはそのためであろう。図にSaul Leiter氏の写真集「In my room」からの一枚を示す。明らかに理想化された美しさではなく、不完全性が見て取れるが3)、そこに、完成された「Wabi-Sabi」を感じずにはいられない。
図 「In my room」からの一枚3)
1) https://share-photography.com/saul-leiter/ (閲覧2018.12.14)
2) https://www.1101.com/saul_leiter/ (閲覧2018.12.14)
3) https://loeildelaphotographie.com/en/saul-leiter-in-my-room/ (閲覧2018.12.14)