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題名:ルソンの壺に学ぶブランドの価値観
報告者:ナンカイン

 時は安土桃山時代のことである。堺に名立たる商人がいたが、その一人は千利休であろう。今でこそ、茶の聖人として知られている千利休であるが(No.57も参照)、堺出身で、そのルーツは商人でもあった。千利休の後に続く茶人として名高い古田織部1)や小堀遠州は、ともに武家出身であり、そういう意味でも、千利休は商人、茶人、武士などの多くの業界を跨ぐ人でもあった。最終的には、豊臣秀吉に切腹を命じられ、その生涯を終えたが、その業界を跨ぐ影響力は計り知れないものがあったことが、生き様から容易に推察できる。千利休の生き様については、漫画「へうげもの」を読んで頂ければよく理解できる。漫画「へうげもの」は、著者の山田芳裕氏によって、漫画としてのデフォルメもあるかもしれないが、千利休の商人としての腹の内もその漫画は教えてくれる(筆者の個人的な意見となるが、この漫画「へうげもの」は、漫画と言うよりも、手塚治虫氏の「アドルフに告ぐ」と同じく、文芸作品として今後も歴史に名を残す作品になるに違いない。ぜひ、読んで頂ければと思う)。
 千利休と同時期にもう一人、貿易上で重要な商人がいた。その名は、呂宋助左衛門(るそんすけざえもん、本名は、納屋助左衛門(なやすけざえもん))と言う2)。千利休と同じく堺出身の商人である。ちなみに、呂宋(ルソン)とは、今のフィリピン諸島に当たる島の名前である3)。その当時、呂宋助左衛門は、ルソンに渡海し、そこでの商品を中心に、貿易商を営むことで巨万の富を得たとされる。彼の貿易の商品の中に、「ルソンの壺」なるものがあり、それを図に示す4)。実際は、ルソンで作られたものではなく、中国の広東省で作られ、貿易船によってルソン島を経由してきた壺ではあるが4)、図で見れば、なにやら高貴そうなイメージもある。しかしながら、島でのその使用目的は、便器であった5)。
 この便器が日本に渡り、千利休を始めとして、高い価値を持たせた。その結果、ルソン島ではただの便器であったが、日本では高価な茶器としてブランド化した。当時は、たぶん、Made in ルソンとして、非常に価値のある高貴な壺として珍重されたことであろう。千利休自らも、豊臣秀吉に様々な贈り物を献上した際に、「珍重なるルソンの壺」として、もてはやしている5)。このように見方を変えれば、ただの便器もブランドとしての価値観が生まれる。マルセル・デュシャンが小便器に芸術性を与えたのも(No.32を参照)、これと同じ様な根拠かもしれない。物自体に意味はない。人の見方に意味がある。

ルソンの壺モノクロ

図 ルソンの壺4)

1) 桑田忠親: へうげもの 古田織部伝. ダイヤモンド社. 2010.
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/呂宋助左衛門(閲覧2016.3.19)
3) https://ja.wikipedia.org/wiki/ルソン島 (閲覧2016.3.19)
4) http://syoutouen.tenkomori.tv/c2914_3.html (閲覧2016.3.19)
5) http://sengokurekishi.com/category1/entry28.html (閲覧2016.3.19)



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