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題名:平安時代におけるシェケナベイベー論述
報告者:ナンカイン

 本報告書は、基本的にNo.1030の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 平安時代は、延暦13年(794年)から文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃における日本の歴史の時代区分の一つであり、平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指す1)。その時代の特徴は、はじめは中国・唐風の文明・文化が花盛りであったのが、次第に唐風文化からわが国独自の文化にデフォルメされ、日本の風土の中にその独自性が取り込まれていった時代でもある2)。そのため、漢詩に代わる和文の和歌も大いに普及し、日本的な風土とマッチした仮名和文によって心情が語られるようになった2)。所謂、漢文の思考から和文の思考へと、漢文の文化から和文の文化への移り変わりを示し、中国的な宗教観も、日本的な宗教観に変化していった時代でもある2)。「古今集」、「源氏物語」、「枕草子」など、この時代に生まれた現代にも続く日本らしい文学文化も多く存在する。現在で言う百人一首の、小倉百人一首は、すべて「古今集」や「新古今集」などの「勅撰和歌集」から集められ、その歌の一つに、先の報告書のNo.1030に示した在原業平の「ちはやふる」も含まれている。
 一方、シェケナベイベーは日本のミュージシャンで、俳優でもある内田裕也氏による名言であるが、ロックンロール魂として発しているこの名言のルーツは、ビートルズの「Twist & Shout」3)からの詩、” Shake it up baby”に基づく4)。ロックンロール自体は、アメリカでブルースの影響を受けて誕生し、比較的単純でアップテンポな音楽から発展し、チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーに代表されるが5)、その流れでイギリスからビートルズが誕生する。従来の音楽の既成概念を打ち崩すべく、旗手を振ったのがロックンロールでもあるが、その考えは音楽だけには留まらず、一スタイルとして発展した。そのため、今は裾野が広がったものの、反逆ののろしとしてロックンロールの象徴があった。これは平安時代における漢詩から和文の和歌への変化ともダブり、従来の既成概念を打ち砕き、独自性をもった歌として、和歌はその時代の日本のロックンロール歌であったのかもしれない。所謂、平安時代におけるシャケナベイベー論が、ロックンロールとダブって反逆ののろしとして、「ちはやふる」→「シェケナベイベー」と述べられようか。「ちはやふる」も、実は、その解釈の仕方で、「血はや降る」の意も含むとされる6)。奈良朝の終局が、大和の地霊の最後の大巫女(藤原薬子)の妖姫の血が飛び散ることで、平安朝が確立し、その敗れた大和の地霊の恨みが秋ごとに紅葉の血の川となって貫流する、とも読解されている6)。そのため、在原業平も見方によっては、ロッカーとダブる。また、在原業平と逃亡した藤原高子もロッカーだったのかもしれない。彼女して、「人間としての自由を求め、純粋な愛に生きようとして、当時の高貴な女性として枠にはずれた行動があった」7)とも言われている。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/平安時代 (閲覧2019.1.5)
2) 山野愛子: 貴族文化と色彩感覚の変遷 -平安時代-. 山野研究紀要 1: 45-51, 1993.
3) https://www.youtube.com/watch?v=b-VAxGJdJeQ (閲覧2019.1.5)
4) http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B7%A5%E3%A5%B1%A5%CA%A5%D9%A5%A4%A5%D9%A1%BC%A1%AA (閲覧2019.1.5)
5) https://dic.nicovideo.jp/a/ロックンロール (閲覧2019.1.5)
6) 高橋睦郎: 百人一首 恋する宮廷. 中央公論新社. 2013
7) 木曽幸子: 二条后藤原高子と朧月夜の尚侍 : 伊勢物語と源氏物語から. 大阪城南女子短期大学研究紀要 19/20: A21-A36, 1985.



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