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題名:トロッコに乗る我々ヒトという種の遺伝子
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.426の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 報告書のNo.426にて、人生はメビウスの帯として近似できる可能性を提言し、人生は永遠に巡る謎を示した。ここでは、そのメビウスの帯上に、仮にトロッコが貼りついているという観点から、ヒトの遺伝子がそのトロッコ列車に乗っていると、その振る舞いがどのようになるのかという構想について考えてみたい。
 トロッコ列車は線路の上を走る小さな箱車のようなものであり、電気で動く場合もあれば、手動で動かす場合もある。国内の有名なトロッコ列車は、富山の黒部峡谷や京都嵐山の嵯峨野にあるが、極端な動きをもつトロッコ列車は、洋画では「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」や「センター・オブ・ジ・アース」などでそれを確認することができる。映画では勢い下り坂となっている線路を電力なしに走るトロッコ列車が中心となるために、いわゆるスリル満点の様相となる。仮に、このトロッコ列車がメビウスの帯上に貼りついていて、かつ、電力なしに常に下りの線路が設定されているがごとく、さらにメビウスの帯の特性として無限ループのトロッコ列車になったとしたら、どうであろうか。永遠にスリル満点である。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」でのトロッコ列車のシーンを図に示す。映画でのスリルは途中で終わるも、同じような条件のトロッコ列車があれば、誰もが図の恐怖感を得るであろう。
 一方、動物行動学者の小林朋道博士曰く、自分という存在について、見事な表現をしている。自分という存在は、死にゆく個体から新生の個体へと、不滅の寄生虫のように長い時間をかけて移動し続けてきた遺伝子たちが

図 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説の一シーン1)

一時的につくった乗り物である2)、と。この表現から類推すると、ヒトを構成している身体や脳という器官はあくまでもヒトという乗り物であり、結局は遺伝子がそれを操作しているだけに過ぎないとも考えられ得る。言い換えれば、ヒトの悠久の歴史において、ヒトという遺伝子がヒトという種をただ単に線路で循環させている状況とも捉えることができよう。ゆえに、我々ヒトという種は、遺伝子を運んでいるメビウスの帯上に貼りつくトロッコ列車に乗って、何かに突き進んでいるだけの存在、なのかもしれない。しかも、それは、メビウスの帯の特性である無限ループで、永遠である。
 人生の山あり谷ありである。山と谷は、その斜面に傾きがあるが、メビウスの帯が自在に変化することで、その傾斜が生まれる。しかしながら、我々ヒトという種は、独自の進化を遂げた段階から、メビウスの帯の傾斜を勢いよく下りとしたことで、永遠にスリル満点のトロッコ列車に乗ることとなった。その状況は他の動物から見ても、不可解であるに違いない。とりあえず、トロッコ列車から遺伝子が振り落とされないように、しっかりとしがみつき、スリル満点の人生を味わうことが、我々ヒトという種の運命である。

1) https://middle-edge.jp/articles/gH8cW (閲覧2017.3.18)
2) 小林朋道: ヒトの脳にはクセがある. 新潮社. 2015.



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