題名:夢の境界
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.735の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書で死の境界について村上春樹氏の「ノルウェイの森」のセリフから考察し、宇宙的な観点との関連性について提唱した。ここでは、死と生を、夢と現実に置き換え、夢の境界を探りたい。
「ノルウェイの森」での有名な一文として、
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
を挙げたが、これを夢と現実に置き換えると、死は夢に、現実は生として、
「夢は現実の対極としてではなく、その一部として存在している。」
となる。ここで記憶もないような幼い頃を考えていただきたい。すると、どうであろうか、現実を知らない幼子が生きている世界は、夢の世界であり、もちろん言葉も知らなければ、文字も知らない。1歳までは少なくとも親をも認識できていないであろう。それが、3歳を超えたあたりから言葉の発達が著名となり、自己と他己との区別もできるようになる。このころから、自己の置かれた立場が、次第にはっきりとする。そして、精神には現実という世界が芽生え始める。6~7歳で周りとのコミュニケーションも成立し、その時には「心の理論」の能力も獲得でき、相手の心の状態を読んで次の行動をとるようになる1)。現実世界の拡大である。ただし、子供の段階では図の左のように夢(A)と現実(B)との境界があいまいであり、かつ、夢(A)の集合が大きく占めている。しかしながら、大人になると右図のように変貌し、夢(A)は境界に阻まれ、小さくなり、心に占める集合体は現実(B)がほとんどとなる。中には左のように子供のまま大人となり、それが社会的に認められ、人格が形成されたヒトも少なくはないが、多くは右のように、夢(A)の集合体がどこにあるのかも分からないくらいに強固な境界にはばかれるのが現状である。夢(A)は確か
図 夢(A)と現実(B)の集合体
に現実(B)の一部として存在するも、精神的には夢(A)は死に体となる。先の報告書に習い、宇宙的な観点から述べると、外部観察者としての自分はあっても、夢(A)の表面に辿りつけない内部観察者としての自己はすでに埋没している。逆に問えば、現実(B)というブラックホールの中に落ち込み、光すら見えない。それが大人になるということであれば、あまりにも人生は空しい。大人であっても内部観察者として内観し、それゆえの行動が、夢の境界に触れることができれば、空しい大人は回避できる。ただし、それもいい訳という時間とともに境界が爆縮すると、夢(A)は点集合へとなり、光のないブラックホールな大人へとより近づく。つまらない大人の感性(完成)である。
1) 鈴木光太郎: ヒトの心はどう進化したのか. 筑摩書房. 2013.
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