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題名:自分が何者であるか?という疑問を解決する
報告者:ダレナン

 自分はどこから来て、どこに向かい、どこに行くのか、は、永遠の疑問である。その疑問を簡単に答えるとすると、母親の体内で育ち、生まれ、やがて、学校に行き、さらに、その後に、仕事に行き、そして、徐々に身体と精神に老いを感じるとともに、場合によっては病気になり、死に至る。特に、病気にならなかったとしても、やがて老衰する宿命は、どの人間にも平等に与えられている。それは、変えることが出来ない、持って生まれた命でもある(報告書のNo.155も参照)。そして、その宿命の命において、運命のコマを動かすように、運命のサイコロもコロコロと転がる。その転がる中で、どこから来て、どこに向かい、どこに行くのか、を自分なりに漠然と知る。そして、疑問の答えは、自分に繋がる歴史の中で、

生 → 死 → 生 → ….

を繰り返していただけであることも知る。天にとって、平等であろう人間は、特別な人生などは用意していない。あるのは、ただ、天から与えられた役割だけ、になるのかもしれない。ただし、その一方で、振られた運命のサイコロに従って、○コマ進める、○コマ戻る、あるいは、ふりだしに戻る、一回休み、などの命が下る。そのたびごとに、

自分が何者であるか?

と悩まずにはいられない。
 映画「ハリー・ポッターと秘密の部屋」において、ホグワーツ魔法魔術学校の校長であるアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア曰く:「自分が何者かは能力では決まるものではない。どんな選択をするかじゃ (It is not our abilities that show what we truly are. It is our choices.)1)」と伝えた。これによると、自分が何者であるかとの悩みは、能力ではなく、選択で決まる。運命のサイコロが、自分の生によって振られたが最後、そのサイコロに従って、コマを進めるのは、自らの選択となる。そして、今日は

○コマ進む

、あるいは、明日は

○コマ戻る

のコマ扱いは、まさに自らの命である。そうして、今日は○コマ進むために、ここに報告書を一枚書きあげた。ただし、これが進んでいるか、戻っているかは、運命のサイコロを再度振らないと分からない。

1) https://movies.yahoo.co.jp/movie/ハリー・ポッターと秘密の部屋/237942/review/人生を決めるのは運命でなく自らの選択だ/49/ (閲覧2018.8.23)



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