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題名:フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵から始まった大型飛行船の実用化の歴史
報告者:ログ

 名に伯爵と付くだけでよい家柄の出世であろうことが推測されるが、それ以上に名自体も長いと凄いものを感じる。表題のフェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵もその一人である。名のアドルフ、ハインリヒなどから連想される国はドイツであるが、フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵もその名にたがわず、ドイツ出身の方である。1838年に生まれ、1917年にこの世を去ったことから、1914年~1918年の第一次世界大戦を体現した人物でもあり、当時の背景から役職としてドイツの軍人であるが、それ以外に発明家・企業家としての顔も持つ1), 2)。その中でも彼を一躍有名にしたのが、大型飛行船であり、ツェッペリン飛行船製造有限会社である1)。
 飛行船は大別して2種類の構造があり、一つは軟式飛行船、もう一つは硬式飛行船である。一般的にイメージされやすいガス圧で外形を維持するのが、軟式飛行船であり、外殻の支持構造をもつ飛行船が、硬式飛行船である。フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵は、硬式飛行船を実用化させた第一人者でもあり、その第1号は1900年のLZ1となる。図にLZ1を示す。そのスペックなどは文献3)を参照していただきたい。このLZ1をきっかけとして、1908年に先に述べたツェッペリン飛行船製造有限会社を創業するとともに、1909年にDELAG (Deutsche Luftschiffahrt Aktiengesellschaft )という世界初の旅客を運ぶ商業航空会社を創立した4)。その後、フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵亡き後、DELAGのマネージャーであり、飛行船の飛行士の指揮官であり、飛行船の製造の責任者であったフーゴー・エッケナー博士によって当時のドイツの誇り

図 硬式飛行船のLZ13)

と工学の象徴として、LZ126やグラーフ・ツェッペリン(LZ127)などの飛行船が製造され、飛行船の黄金時代を築いた5)。しかしながら、フーゴー・エッケナー博士は1933年1月に権力を握ったドイツのナチス政権に対して反対していたことから、ナチスのブラックリストに載ることとなる。その後、飛行船の最大の事故である1937年5月6日のヒンデンブル号の災害によって事実上、大型飛行船の実用性への歴史に幕を閉じることとなる。その災害の原因は、外皮塗料への放電による引火とされているが、その裏にはドイツ政府の工作員による自爆テロという陰謀説や、ナチスを嫌うエッケナー博士の破壊工作という説もある6)。いずれにせよ今では飛行船を見かけることが少ない。しかしながら、時に悠々と飛んでいる飛行船を空に見かけると、心がときめくのは筆者だけではないと思う。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナント・フォン・ツェッペリン (閲覧2017.8.27)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次世界大戦 (閲覧2017.8.27)
3) http://www.air-ship.info/airship1.html (閲覧2017.8.27)
4) https://ja.wikipedia.org/wiki/ツェッペリン (閲覧2017.8.27)
5) https://en.wikipedia.org/wiki/Hugo_Eckener (閲覧2017.8.27)
6) https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンデンブルク号爆発事故(閲覧2017.8.27)



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