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題名:福沢諭吉の魅力
報告者:ナンカイン

 今の日本で、福沢諭吉を知らない人はいないであろう。一諭吉、二諭吉など、札の勘定でよく出てくる名であり、その通りで、一万円札には福沢諭吉の肖像が記載されている。図に一万円札の表を示す。右の着物を着た知的な雰囲気の方が、福沢諭吉、その人である。
以前の一万円札は聖徳太子が表であった。しかしながら、その当時は、一太子、二太子などの勘定は聞いたことがなかった。時代から言っても、聖徳太子よりも福沢諭吉の方が近いため、その親しみも込めて、諭吉と勘定しやすいのかもしれない。
 その福沢諭吉であるが、一万円札の表紙であってもその人物については、詳しく知らない人も多いのではなか

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図 一万円札の福沢諭吉1)

ろうか。少なくとも、街頭インタビューなどで、「福沢諭吉とは、どんな人ですか?」と問うと、一万円札の人と答える人は多くとも、福沢諭吉の歴史までを語れる人はわずかに違いない。しかしながら、一万円札の肖像に採用されるだけの人物であることはよく理解できる。そこで、本報告書では福沢諭吉の歴史を探るとともに、その人となりの魅力について報告したい。
 福沢諭吉の年譜については、文献2)に詳しく記載されている。その文献2)の大元は、慶応義塾大学のサイトであるが、慶応義塾大学は福沢諭吉によって開塾されていることはよく知られていることでもある。25才にて慶応義塾の前身である蘭学塾を開き、生涯に渡って学問の重要性を説いた。「学問のすすめ」は福沢諭吉による書であるが、「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」はこの書の冒頭にある有名な言葉であり、その意は、人間が生を設けた条件はみな同じ、である。しかし、その意の根底には、学問によって人の地位は如何様にも変わることも示している。福沢諭吉自体も特別に恵まれた環境で生を設けた訳ではなく、下級藩士として大阪に生まれている3)。後に、大分、そして長崎で西洋の文化に触れ、西洋の考え方を学んだ。そして、これからの先、日本にとって大事なことは如何に学問を知り、それを如何に活かすかということを悟った。その結果、日本の文明開化の立役者の一人となった。ただし、福沢諭吉の素晴らしい点は、ただ単純に西洋の考え方を鵜呑みにするのではなく、あくまでも実地として学問を実行しながら、個をしっかりと持つことの重要性も説いている。すなわち、独立の気概を持って、自分の才能と人間性を高めるような学問を生涯通して志すことが、真の「学問のすすめ」としている。
 福沢諭吉が一万円札の肖像の人物として選ばれた理由の一つに、文化人であったことが示されている4)。「学問のすすめ」にもあるように、一個人だけでなく、国の行く先も案じ、グローバルな考えの文化人たる福沢諭吉であったが、良くも悪くも明治維新と言う激動の時代に生きた人である。自分が後に一万円札の表紙になることは、その当時は案じていなかったと思うが、今の時代を一万円札からどのように眺めているのであろうか。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/一万円紙幣 (閲覧2016.3.23)
2) http://www.keio.ac.jp/ja/contents/fukuzawa_history/ (閲覧2016.3.23)
3) https://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉 (閲覧2016.3.23)
4) http://labori.jp/people/991 (閲覧2016.3.23)



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