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題名:水の恐れにも似た響き
報告者:ゴンベ

 本報告書は、基本的にNo.565の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 ヒトの体の多くは水分で構成されている。文献1)によれば、成人男性で体重の60%、成人女性で55%は体液と呼ばれる水分で構成されている。新生児に至ってはその80%が体液(水分)である。そのため、プールに入れば、水を得た魚のように呼吸できるかと思えば、それはそうはいかない。それは、誰もが知っている事実である。プールに入れば、泳げる人はともかく、カナヅチな人は間違いなく溺れてしまう。誰か助けがなければ、深いプールに入ったカナヅチな人は、間違いなく死に至る。
 そもそも、ヒトは陸上に住む動物であり、酸素を吸って二酸化炭素を吐く。その呼吸の循環において、ヒトの肺は、魚のえらのように自ら酸素を水から得ることはできない。魚のえらの仕組みに関しては、文献2)が示すように、えらのくしの歯のような部分(鰓弁(さいべん)という部分3))でもって、そのくしの歯に細かい毛細血管があり、ここの表面積が大きいことで、水にとけた酸素をたくさん血管からとり入れられるようになっている。この機構がヒトにあれば、ヒトは陸上で住む必要がなくなる。そして、広大な海の中でも暮らすことができるのかもしれない。そう、イルカのように、である。
 ヒトの祖先は、かつて半水生生活を送り、その生活によって二足歩行や無毛性といった、人間特有の特徴を生んだとするアクア説なる説もある4)。しかしながら、カナヅチの人にとっては、プールに入るつどに、アクア説? 本当かな、と思ったこともあるかもしれない。えらがほしい、と思ったこともあるかもしれない。自分の体内には60%近い水分があるにも関わらず、である。
 しかしながら、物質的な水ではなく、概念的な水ならば、報告書のNo.906でも示したように、非常に示唆に富む題材となる。それが曲であればなおさらである。それをあえて言い換えるとすれば、ヒトの体液(水分)が60%であるのと同じく、概念の60%を占める人として生き方でも水は重要なキーワードとなる。No.565ではSymlの「Where’s My Love」の誰にでも起こりえないが、誰にでも起こりえる状況を示したが、ここでは同じくSymlの「Fear of the Water」を取り上げたい。なぜなら、Youtubeの「Fear of the Water」5)のTodderina Chairsitman氏のコメントにもあるように、実は、これらの両曲が見事に繋がっている感傷(響き)があるかもしれないからである。氏は歌詞の”You dislocated”を指して、「Where’s My Love」6)の彼女が水の中を歩いている(もはやこの世にはいない)ことを推測している。水の中とは「Fear of the Water」のPVにあるように、逆転の効かない世界でもあろうか。
 もと(Home)に戻れない愛は、See your face when I black out, I’m never coming back、という喪失感でもある。

1) https://www.otsuka.co.jp/nutraceutical/about/rehydration/water/body-fluid/ (閲覧2018.10.26)
2) https://kids.gakken.co.jp/box/rika/06/pdf/B046102050.pdf (閲覧2018.10.26)
3) https://www.nhk.or.jp/rika/micro/shiryou/2011_018_01_shiryou.html (閲覧2018.10.26)
4) モーガン, E: 人類の起源論争―アクア説はなぜ異端なのか?. どうぶつ社. 1999.
5) https://www.youtube.com/watch?v=-T4THwne8IE (閲覧2018.10.26)
6) https://www.youtube.com/watch?v=goWa6EzkCh4 https://www.youtube.com/watch?v=lPA_npG1WUc (閲覧2018.10.26)



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