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題名:ストレンジラヴ博士 または…と独裁者におけるニュアンスの共通点
報告者:ゴンベ

 ストレンジラヴ博士とは、「2001年宇宙への旅」などその映像において鬼才とされるスタンリー・キューブリック監督による映画の登場人物で、映画の正式な邦題は「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」である。ただし、原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」であるために、本来の訳としては「ストレンジラヴ博士 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(ストレンジラヴ博士 または…)になろう。この題名の長さでも、この映画が只者ではない様相を示している。ちなみに、現在までで最も長い映画の題名は1967年に公開されたピーター・ブルック監督による「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」になろうが、それに負けず劣らず長い題名でもある。それだけ、キューブリック監督の、この映画を通して世間に何かを伝えたい、という強い思いがひしひしと感じられる。ポスターもデザイン的には優れているものの、よく見ると様々な暗示にも満ち溢れている(図)。

図 ストレンジラヴ博士 または…のポスター1)

 この映画が製作されたのは1964年である。その当時はアメリカとソビエト連邦(現在のロシア)は冷戦の最中であり、1962年のキューバ危機をきっかけとしていつ第三次世界大戦が起ころうとも不思議ではない緊迫した状況下にあった。そのため、「ストレンジラヴ博士 または…」では、それを皮肉ってブラックユーモア的に描いている。ある意味、戦争を選ぶという人間が持つ心理の愚かさの意味も込められていたのであろう。いずれにせよ第三次世界大戦は起こることはなく、ベルリンの壁の崩壊でもって、冷戦の事態は収束した。
 一方、チャーリー・チャップリンは、第二次世界大戦中の1940年に映画「独裁者」を監督・主演し、独裁者ヒンケルとヒンケルに容貌がそっくりの床屋チャーリーの二役を演じ、ヒトラーとナチズムに対する風刺を込め、アドルフ・ヒトラーの独裁政治を痛烈に批判している。しかしながら、その映画の運びはチャップリン独特のブラックなユーモアに満ち溢れ、チャップリンの代表作ともいえる内容となった。さらに、この映画の締めくくりでは、重要な演説があり、戦争に対する人類愛へのチャップリンの考えを生かすべく、チャップリンにとって初めてのトーキー映画(音声付きの映画)を選んだのは、有名な話である。これとは逆に、「ストレンジラヴ博士 または…」では、キューブリック監督にとって最後の白黒映画ともなり、こちらの映画の締めくくりは演説ではなく、皮肉にもヴェラ・リンの「また会いましょう」という曲と核爆発の映像を重ねて終焉させている。さらに、ストレンジラヴ博士は大統領に向かって「総統」というあたりは、笑えるようで笑えない。両映画を観賞すると、運び方が違うとはいえ、「ストレンジラヴ博士 または…」も、「独裁者」も、不思議と同じようなニュアンスを持つ。それは、簡単に言えば、ブラックなユーモアに乗せつつも、その根底には冷ややかな目があり、明らかに人間の愚かな面を強調している点になるであろう。裏を返せば、人間という生物は、永遠には(歯)、ホワイトな存在には(歯)、なれないことを示唆しているのかもしれない。年とともに歯も心もピュアさが失われ、地位とともに独裁的になると必ず愚かな道を歩むのは、人間のサガであろうか。

1) https://en.wikipedia.org/wiki/Dr._Strangelove (閲覧2017.4.28)



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