題名:ハサミのないヤドカリの「こわい」海辺と「こわくない」海辺
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.1227の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
本能的におびえ、そのおびえはどこから来るのか。はたして、おびえなどありはしないのか。でも、身体がこういう。「こわい」と。その現実の元凶を、探れども、探れども、別に何も見出せず、本当は見出していても、「世界はきっと広いのだ。明るい世界に満ち溢れている」と、魂はのたまる。その魂は、自分には宿っていないのか、宿っているのかは分からない。ただの自分はヤドカリかもしれない。
しかしながら、そのヤドカリには、中身(才能)がない。ヤドカリの姿をしていても、ハサミ(メンタル強)がない。ハサミはなくとも、「こわい」海辺で遊びつつ、時に、魚や鳥に食べられそうになっても、殻に閉じこもればいい。それで、閉じこもりながら、時に、赤いからだ(No.1227)、で全てを脱ぎ捨てたい。そんな風にして、「こわい」海辺で考えてしまう。それは、様式を極めているからともいえようか(No.1227)。それが、Confidently Lost(大胆な当惑)にも結び付き、Sabrina Claudioさん(図)の美しさとしても目をうばわれてしまう。きっと、ハサミだけでなく、目も釘付けでうばわれる。
その一方、笠谷海斗氏による「ヤドカリのグラビア」という「こわくない」海辺でも泳ぎたくなる。したがって、文献2)を紐解いて、「ヤドカリのグラビア」3)にアクセスを試みる。しかしながら、そこに示されるのは、「何かお探しですか?」の後に、「申し訳ございません。入力されたウェブアドレスは当社サイトの有効なページではありません。」。そして、「Amazonのトップページに戻るには、ここをクリックします。」へと痛烈に現実へと誘導される。全てを脱ぎ捨てて、Sabrina Claudioさんのように恐れずに、「満ち溢れる現実の世界」を渡り歩こうとしても、何故かくじかれてしまう。そうしてまた、「こわい」海辺へと逆戻りする。「ヤドカリのグラビア」に期待しつつも、自分の殻は、そこには含まれていずに、「こわい」
図 Sabrina Claudioさん1)
海辺に所属するだけの宿りのないヤドカリでしかないのかと自問する。そうして、また、殻に閉じこもる。
それでも、また、Sabrina ClaudioさんのNeo Soul調の新たな魂に導かれ、再び、のたまる魂は、「宿借りの星」へと期待をはせる。ゆーべるさん曰く、「大好きになっちゃいましたよ。美味しいお菓子をゆっくり味わうように楽しんで読みました。」4)とのレビューは、ハサミのないヤドカリたる自分に、美味しいお菓子を一緒に提供されたが如く、「こわくない」海辺での空想をSF的に与えてくれるかもしれない。
1) https://galoremag.com/sabrina-claudio-single-new-music-khalid-singer/ (閲覧2019.5.23)
2) https://buna.info/article/802/ (閲覧2019.5.23)
3) https://www.amazon.co.jp/ヤドカリのグラビア-My-hermit-life-笠谷海斗-ebook/dp/B078GD711D (閲覧2019.5.23)
4) https://www.amazon.co.jp/宿借りの星-創元日本SF叢書-酉島-伝法-ebook/dp/B07NPHDM91/ (閲覧2019.5.23)