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題名:やがて人類は着装では着想しなくなるのか? -ハヌノオ・マンヤン族の研究からも着想-
報告者:ナンカイン

 人類のみが着装(衣服を着る)する。報告書のNo.261でも示したが、それは他の動物には見られない行為であり、裸を恥ずかしがるのはヒトだけである。さらに、宇宙規模まで着装を拡大すると、SF映画などで、地球上の人類よりもはるかに知能が優れているであろう宇宙人も、人類に相似た人型でない場合は、着装していないことがしばしば認められる。例として、宇宙人の遭遇の映画として古典ともなったスティーブン・スピルバーグ監督による「未知との遭遇」の宇宙人を図に示す。見てわかる通り、衣服を着ていない。実は、この宇宙人は人類には見えない透明な衣服を着ているのかもしれないという反論もあろうが、少なくとも、各宇宙人において表向きの様にバリエーションがないことから、衣服に対するこだわりがないことがおおよそ推定される。たぶんに、この宇宙人は、巷でいえば、グレイと名付けられた宇宙人に相当するが、巨大宇宙船が建造できるにも関わ

図 未知との遭遇の宇宙人1)

らず、衣服を身につけない行為で恥ずかしがっていないのは、整列した様子からも間違いない(であろう)。
 一方、大阪のおばちゃんら(ここでは、愛着をもって、このように表現させていただきたい)に認められるように、衣服はその人自身を表していることが多い。大阪のおばちゃんらの衣服の代表は、もちろんヒョウ柄である。なぜ、ヒョウ柄なのか? ヒョウは動物のあの豹であるが、豹の一般的なイメージを問えば、シャープな体形、美しい模様、狩りが上手になるであろう2)。その一方で、動物界において、捕食されやすい動物は、地味な様相が多い。しかしながら、豹は動物界でもその運動能力が特に優れ、獲物を狙うときの速さは60km/h程に達するほか、跳躍力にも優れていて、6m程の幅を跳ぶことができ、2.5m程の高さなら跳び越えてしまうとも言われ3)、動物界でも上位に君臨する。派手でも、一向に構わない訳である。逆に、その派手さは、能力の凄さを誇示しているかのようでもある。大阪のおばちゃんらも、やはりその豹に違わぬイメージを持ってもらいたいという欲求が根底にあるからこそ、ヒョウ柄を着装しているに違いない。
 文化人類学者である亘純吉博士によると4)、着装の文化的な枠組みを示せば、身体は衣服をはじめとする服飾を着装することによって、文化的な秩序の体系に組み込まれる。さらに、フィリピンのミンドロ島山地民であるハヌノオ・マンヤン族は、個人に言語能力、あるいは、それに基づく思考能力の意味にあたるイシップが備わって衣服を着装することを知るようになるとされている4)。その根底には、言語的な意味の同一性を保ちつつ、言語のメッセージを変化させる、つぎの方法とそれらを理解することのできる能力をあわせ持ったことを意味し5)、着装の規範とともに、その能力を身に付けた証でもある。すなわち、ハヌノオ・マンヤン族の着装は、言語と思考を有する文化の着想でもある。ただし、人類がグレイのように進化すると、言語と思考は、テレパシーによってなされ、その時人類は、着装では着想しなくなる可能性も大いにあり得る(かもしれない)。

1) http://www.banktapet.pl/img/150415/960/540 (閲覧2018.1.30)
2) https://animalcenterstreet.jp/2017/04/23/野生のヒョウってどんな生活?/ (閲覧2018.1.30)
3) http://www.pz-garden.stardust31.com/syokuniku-moku/neko-ka/hyou.html (閲覧2018.1.30)
4) 亘純吉: ハヌノオ・マンヤン族の服装観 フィリピン、ミンドロ島山地民の事例から. 吉田集而(編): 生活技術の人類学. pp230-257, 平凡社. 1995.
5) 亘純吉: 服装の評価をめぐる表現 ハヌノオ・マンヤン族の事例調査から. 駒沢女子大学研究紀要 創刊号: 91-100, 1994.



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