題名:芸術家としての映画監督ジョー・ダンテへの理解
報告者:トシ
映画監督のジョー・ダンテは、1946年に生まれたため、現在70歳となる1)。本名は、Joseph Domenick “Joe” Dante Juniorとやや長い名前であるが1)、映画のクレジットでは、Joe Danteであることが多く、監督名はジョー・ダンテとしても間違いではないであろう。最新作は映画「ゾンビ・ガール」であるが、こちらのクレジットも、Joe Danteである。
映画監督ジョー・ダンテによる作品として最も知名度が高いのは映画「グレムリン」になるであろうか。「グレムリン」は1984年の作品であることから、既に33年もの時を経ていることとなる。映画「グレムリン」は商業的にも成功したために、その当時ジョー・ダンテ37歳ですでに映画監督として名声を得たこととなる。そのため、一般的な映画監督であれば、それ以後は、大作路線・芸術路線に走り、大コケするか、大成功するかの岐路に立つことが多い。しかしながら、監督ジョー・ダンテがそれ以後も追及した映画哲学は、B級路線であった。最新作の映画「ゾンビ・ガール」でもそれがいかんなく発揮されている。
筆者は「ハウリング」、「グレムリン」など、古くから監督ジョー・ダンテのファンの一人であった。しかしながら、恥ずかしいことに最新作の「ゾンビ・ガール」がジョー・ダンテ監督であることも知らずに、この作品をHuluで見る機会に恵まれた。見るはじめは、ゾンビの亜流のひとつかと思い、あまり期待せずに拝見した。しかしながら、あまりにもB級として素晴らしいこの作品の最後のクレジットで、Joe Danteの文字を発見した時、いささか感銘した。表題のジョー・ダンテの文字に期待を込めてこの報告書を読む方から、「それならファンではないだろう」と一喝されるのも覚悟の上での、ここでの記述であるが、人生にはどうしても避けられないブランクがつきものであるということで、ここはお許し願いたい。
映画「ゾンビ・ガール」はまさにB級映画の王道であった。例えば、文献2)にもあるように、見る方によっては感動すらある作品に仕上がっている。それは、B級路線としての非常なレベルの高さである。ジョー・ダンテは、B級映画の帝王とされるロジャー・コーマンの門下生でもあるが、監督として業績を積み始めたころから、現在までまったく変わらないこの表現レベルの高さは、まさに芸術家の手による、と言える。
ここで視点を変えて絵画における芸術家から考え直すと、例えば、デンマークの画家であったヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi)の画集を見ても、生涯を通して一貫性が感じられる。ハンマースホイから遡り、彼に少なからず影響を与えたであろうフェルメール(Vermeer)の作風も生涯一貫している。このように、芸術家と呼ばれる人はその創り出す作品に、一貫した自己が感じられる。ゆえに、出来上がった作品は、芸術家の手による、とされる。同じように、映画はエンタテイメントに位置づけられるも、作品が一貫して変わらないB級路線のレベルの高さをもつジョー・ダンテも、芸術家のそれと何ら変わりない。
図 ジョー・ダンテ的な表現法3)
冗談的( ̄v ̄)…に骸骨がこれほど様になる表現法で示せるのは、ジョー・ダンテが芸術家である証でもある。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョー・ダンテ (閲覧2017.3.24)
2) http://gock221b.hatenablog.com/entry/2015/10/24/220237 (閲覧2017.3.24)
3) http://www.blastr.com/sites/blastr/files/Joe-Dante.jpg (閲覧2017.3.24)