題名:ゾンビの社会学的な側面 -社会学 of the Dead-
報告者:トシ
ゾンビに関する記述は、ハイチにおけるブードゥー教での精神状態から始まり、世に知れるようになったジョージ・A・ロメロ監督による1979年のゾンビによって大きく社会へと解き放たれた(No.10も参照)。そして、現在は、アメリカのテレビ局のAMCによって製作された2010年からのThe Walking Deadによって、劇中だけでなく、一大社会現象としてパラダイムシフトがもたらされたのは、ここでいうまでもないであろう(No.42も参照)。そのThe Walking Deadであるが、すでに8年も続いたために脚本も混迷し始め、さらには、前日譚となるFear the Walking Deadに至っては軒並み視聴率が低下するという1)、劇自体がゾンビ化しているような様相を呈している。冗談のような、The Walking Dead of the Deadである。しかしながら、一方で、これらの現象から、ゾンビそのものを映画などあらゆるメディアを含めて総合的に体系化され、社会学の一分野にまで発展し、ゾンビ学2)なる学問も提唱された。いうなれば、The Walking Dead of the Deadであっても、社会学 of the Deadとして蘇った、社会学的な屍が、ここにきて歩き始めたのである。
タンパ大学のSarah Juliet Lauro博士ら3)によれば、ゾンビは今や概念化され、資本主義時代の非人間的条件を備えたポストヒューマニズム(人類を越えた存在)として、その概念が結びついていることを述べている。そして、それは、すでに、ゾンビとして “知っていて”、話すことはできなくとも、解決できない、非・精神・感情の浄化を有する人間性の象徴として言及している3)。また、その概念化が大きく展開したのは、2002年のダニー・ボイル監督による「28日後…」であることをも指摘している3)。これに関しては、ゾンビの目に着目し、その眼差しから研究した福田安佐子氏4)も同様の意見であり、「28日後…」での劇中におけるゾンビの「目」扱いと、その破壊という手法でもって、人間という姿に隠されて見えなくなっている怪物の姿や、人間性や魂といった目に見えないものに過度に信頼を置く我々の姿を浮き彫りにしていることを示唆している。そして、その結果として、人間性の喪失だけでなく、人間性そのものの変質、例えば、インターネット上であれば、情報に煽られる大衆の比喩として、または、個人の輪郭を失い、昆虫のようにうごめく人々の姿を揶揄するものとしてもゾンビが描かれるようになったことを明らかにしている4)。映画などでなくともすでに内面的に、ゾンビがいる(図)、ということになろうか。
図 ここにゾンビがいる5)
1) http://www.realoclife.com/entry/review/fear-the-walking-dead-season-4-episode-7 (閲覧2018.6.7)
2) 岡本健: ゾンビ学. 人文書院. 2017.
3) Lauro, SJ and Embry, K: A Zombie Manifesto: The nonhuman Condition in the Era of Advanced Capitalism. boundary 2 35: 85–108, 2008.
4) 福田安佐子: ゾンビはいかに眼差すか. ディアファネース:芸術と思想 4: 71-94, 2017.
5) https://boombotix.com/blog/tag/zombie-attack/ (閲覧2018.6.7)