題名:人生はドーナツなのだ
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.981の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書にて、数学におけるトポロジー(位相幾何学)を学んだ。その学び方は、まさに先の報告書で示したモデルのアナベル明さんと同じく、かじったドーナツの程度でしかないかもしれない。そのため、ここでも筆者の浅学非才を暴露するようなものでもあるが、千里の道も一歩からである。そして、そこでもって、人生はドーナツへと至るのかもしれない。これを、天才バカボン風に言えば、「人生はドーナツなのだ」となる。
ここで、報告書のNo.977を復習してみたい。おもちゃのスリンキーを丸くつなげる形状へと発展させると、スリンキーの連続体が生まれる。そのスリンキーの連続体の大きな輪の中央には、ドーナツの穴に相当する中空の空間があり、個々の輪の中にもチューブのような中空の空間が存在する。そこで、ドーナツをスリンキーの連続体へと発展させる方法として捉えると、次のように考えることができる。
「トーラス(ドーナツ)上のホモローグ0(*)でない切断線Z1でもって、Z⊕Z={(n, 0)}(nはスリンキーの個々の輪の数、No.977では51)という1次元ホモロジー群が1)、ドーナツとスリンキーの連続体にある関係」
と見なすことができる(かもしれない)。そうして、切断線Z1でもって展開されたスリンキーの連続体は、厚みや幅はないが大きなドーナツとなるも、トーラスΣ1であることには変化はない。
この個々の輪を1年での人生の時点とすると、大きな輪は人生の始めから終わり、すなわち、生から死となる。その個々の輪の数、先ほどの説明で言えば、nは人によって異なるが、最終的にはドーナツ(トーラス)として人生が巡る。
スリンキーの連続体の中空の空間、あるいは、トーラスΣ1(ドーナツ)の内部は、報告書のNo.746でも示したように、「超越性の領域」であり、トーラスΣ1(ドーナツ) に閉曲線を引き、この
図 トーラス(ドーナツ)の切断線1)
曲線に2つの点P, Qをとっても、閉曲線の両側は両側に見えて、実は両側ではなく、外側でもなく1)、内側でもない「超越性の領域」となる。ただし、厚みや幅はないが大きなトーラスΣ1(ドーナツ)を閉曲線として見ると、そこには、2つの点P, Qをとると、両側は両側となり、内と外が生まれる。これが報告書のNo.735で示した生と死の境界として観察されている現象となる (かもしれない)。そうして、果てしないトポロジーへの知識欲は、依然として境界が見えない永遠の学びの連結性を、ここで持ち始める。傾愛してやまないトポロジーの始祖でもある天才数学者レオンハルト・オイラー博士の、せめてハナクソにでも…なりたいと願う。
*: ホモローグ0:定義:曲面M上の閉曲線を曲面上の切断線といい、その切断線が曲面を2つの部分に分けるとき、その閉曲線をホモローグ0という1)。ちなみに、トーラス(ドーナツ)では2つの切断線Z1、Z2で切断しても球面と異なり、曲面は2つに分割されない(図)。
1) 瀬山士郎: はじめてのトポロジー. PHP研究所. 2014.