題名:ペコちゃんの昭和史
報告者:トシ
ペコちゃんと言えば、すぐに浮かぶであろうあのペコちゃんである。図にペコちゃんを示す。今ではあまり見かけなくなったが、昭和時代を体現した人は、かつて店頭の前にペコちゃんの首振り人形を見かけたこともある人も多いに違いない。そのペコちゃんはこれも言わずもがな、株式会社不二家のキャラクターである。
不二家といえば、やはり「ミルキー」は外せない。ペコちゃんが1950年に採用されたとともに、1951年にその「ミルキー」が発売され、この「ミルキー」がお菓子でのママの味として定着するとともに、ペコちゃんも、不二家も大躍進するきっかけを産み出した2)。
1951年は、日本が戦後からようやく立ち直る時期であり、その少し前の1945~48年頃の食料事情を調べると、「食糧事情は悪化の極に達し、主食配給の遅配・欠配は日常化」、「いもなどを米のかわりに主食としなければならない場合も多く、衣・食・住ともみじめな生活をつづけた者が少なくなかった」とあり4)、今では考えられないほど、如何に食料確保に関して大変だったかが伺われる。それから遡ること1950年代後半からは、食生活の洋風化が加速し5)、日本の食生活が豊かになる道を歩むも、「ミルキー」が発売された1951年はその中間にあたり、子供への愛情や栄養不足が相当に懸念されたに違いない。そのため、不二家の初代社長であった藤井林右衛門氏は、この戦後の状況を改善すべく、母親が安心して幼児に与えられるお菓子を発想の原点
図 ペコちゃん1)
として「ミルキー」を開発している6)。そのため、今でも「ミルキー」は、お母さんの愛情や母乳のなつかしさをイメージしたキャッチフレーズとして7)、不二家の看板を背負っている。ただし、不二家の歴代社長は長らく世襲制であり、その甘えからか2007年に期限切れ原材料使用問題が生じ、6代目社長の藤井林太郎氏がその座を辞任したのは記憶に新しい。ただし、現在は、桜井康文氏が社長として不二家の業務回復に向け、努力している。その姿にペコちゃんも張り切り、2015年に平塚市美術館で「ペコちゃん展」も開催されまでに回復した2)。
やはり昭和時代の流れからすると、安全に抱っこできるお菓子のペコちゃんであってほしいのは、ペコちゃんへの想いでもある。一時期、店がなくなりお菓子のペコちゃんがいなくなった時、寂しさを感じたのは筆者だけではないであろう。昭和時代のペコちゃんをみて、ふと感じた(図)。
図 1960年代のペコちゃん8)
1) https://www.fujiya-peko.co.jp/index.html (閲覧2018.5.14)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/不二家 (閲覧2018.5.14)
3) https://www.fujiya-peko.co.jp/contact/faq/faq01/s005.html (閲覧2018.5.14)
4) http://www.jc-so-ken.or.jp/pdf/ja_report_writer/H-Usui/150623_01.pdf (閲覧2018.5.14)
5) 草苅仁: 戦後の食料消費と家計の役割. 家計経済研究 83: 12-25, 2009.
6) https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルキー (閲覧2018.5.14)
7) https://www.fujiya-peko.co.jp/contact/faq/faq01/s005.html (閲覧2018.5.14)
8) https://4travel.jp/travelogue/11032302 (閲覧2018.5.14)