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題名:”あい”の奇蹟 -111001101000010010011011からの愛の記号-
報告者:ナンカイン

 本報告書は、基本的にNo.783の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 日本語には、漢字、カタカナ、ひらがなと3種類の表記がある。通常は、例えば、愛、アイ、あい、とすれば、どれも同じ意味となる。しかしながら、報告書のNo.781でも示したように、漢字は目に見えるものを対象とし、カタカナは人間存在を自然との関係性を含めて全体的にとらえる視点を持ち、ひらがなは不可視の霊魂を含ませた。それによって、そこに漢字、カタカナ、ひらがなの意味に異なるニュアンスが内包される。そのため、先の、愛、アイ、あい、でこれを示すと、目に見える愛、全体的にとらえるアイ、霊魂のあいとなる。これを中沢新一博士が提唱する神学のトーラス構造で示すとしたら1)、図のようになるのかもしれない(No.746も参照)。愛は目に見えることからトーラスの内部に相当する。アイはそのトーラスの表面を包むものに相当する。そして、あいは霊魂を含むことから、トーラスの穴に相当し、太古の人類が有していた超越性としての存在が示唆される。現在は、物質が豊かになった半面、人類はこの超越性、いわば第三の目(No.759も参照)を失った。そのため、愛の透明性も失いつつあるのかもしれない(No.730参照)。しか

図 “あい”のトーラス構造1)を改図

しながら、かつてあったその超越性によって、人類は飛躍的な発展を遂げたのは、ここで言うまでもない。すなわち、あいから、アイ、そして、愛へと変遷する過程で、愛も物質化として今では定着し、誰もが理解できる概念へと飛躍したこととなる。
 一方、現在は人工知能の技術飛躍も目覚ましい。人工知能は英語ではArtificial Intelligenceであり、略すとAIとなるが、これが便利なことに日本語ではアイとなる。いや、物質として形があることから、ここまでの流れで言えば、AI(愛)の方がふさわしいのかもしれない。それに関して、報告書のNo.418でも示されているが、人間には心があり、機械には心はなく、今はまだAI(愛)は、”あ(A)”のない無慈悲なIntelligenceでもある。しかしながら、いずれにせよその現段階のIntelligenceの処理は、0 or 1でなされる。言わば、二進数でもって遂行される。愛も、111001101000010010011011として記号化される。
人工知能の時系列的な歴史は、文献2), 3)に詳細に示されているので、そちらを参照していただきたいが、人工知能の根本となる脳型の学習機械として、第1次、第2次ニューロブームを経て、現在の人工知能のベースとなる深層学習(Deep Learning)は、第3次ニューロブームにあたる4)。ただし、計算論的神経科学者の第一人者である甘利俊一博士4)によれば、喜びや悲しみの状況の認識は、喜ぶこと、悲しむこと自体とは異なり、これはクオリア(質感、しみじみとした感覚)の問題でもあり、ロボット(人工知能)はこのクオリアのようなものが生ずる必要がないことを指摘している。すなわち、AI(愛)は、111001101000010010011011のままで、そこに”あい”の奇蹟は生まれない。”あい”の奇蹟は、やはり人類特有の資産なのかもしれない。

1) 中沢新一: 野生の科学. 講談社. 2012.
2) https://aitopics.org/misc/brief-history (閲覧2018.4.24)
3) http://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/AIhistory.html (閲覧2018.4.24)
4) 甘利俊一: 脳・心・人工知能. 講談社. 2016.



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