題名:形而上、と、形而下、の裏メッセージ
報告者:ナンカイン
哲学を生業とする哲学者な人にとっては当たり前の言葉として、”形而上”や”形而下”がある。しかしながら、一般的に、日常で持って使用する言葉ではない。あるいは、その言葉の読み方すらも分からないかもしれない。筆者もその一人である。そこで、”形而上”や”形而下”の意味についてここでは深く考えることで、その裏メッセージを見てみたい。
まず”形而上”であるが、読み方は”けいじじょう”である。数学者な人は”計二乗”と覚えるのもよいかもしれない。一方、”形而下”の読み方は、”けいじか”である。経済学者な人は”計時価”と覚えるのもよいかもしれない。なお、漢字の”而”が総じて難しく感じる。これについて、”而して”には、「それから」、の意がある1)。これで何となく理解できようか。”形而上”は、形それから上、”形而下”は、形それから下となる。辞典によれば、哲学ではない場合、”形而上”は、「形をもっていないもの」とされ、”形而下”は、「形を備えたもの。物質的なもの」とされる1), 2)。これで納得がいく。”形而上”や”形而下”について図示すると、たぶん図のようになるのであろう。いずれにせよ、学問上ではこれらの言葉はどのように扱われているのであろうか。
まず筆頭に挙げられるのは、形而上学(けいじじょうがく)である。これは何の学問であるかと問えば、古くは古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの時代まで遡ることができる。ギリシア哲学を専門とする山口義久博士4)によれば、形而上学とは「メタ自然学」としての性格づけがあるという。「メタ」とはある学問や視点の外側に立って見ることを示し、そのことから、一般的な自然科学の外側にある学問が、形而上学に相当するのかもしれない。逆に見ると、形而下学は、一般的な自然科学の範疇にあるのかもしれない。
図 ”形而上”と”形而下”
それでは、形のないものを学問するには、どうすればよいのであろうか。
アリストテレスの代表作である”形而上学”の始めには、「人は誰でも生まれつき知ることを求める」として弟一巻に記述され、知を愛し求めることの重要性を論じている4)。それは、何か不思議に思うことがあり、それをきっかけに、それを知らずに落ち着かない気持ち、何が何でも知りたいという気持ち、自分が目指そうとする問題を意識する、ことに繋がり、その結果として知への欲求は形を持つことができる4)。このことから、”形而上”や”形而下”という言葉には、まずこの”形而上”や”形而下”という言葉に疑問を持ちなさい、というアリストテレスからの裏メッセージが含まれているのかもしれない(ただし、アリストテレスは、その著作集をta meta ta physica(自然学の後に位置づけられる一連の考察5))とした。すると、なんとなく形が見え、”形而上”、が、”形而下”、へと姿を変える。そうして、観念はいずれ知へと体系化される。
1) https://www.weblio.jp/content/%E8%80%8C%E3%81%97%E3%81%A6 (閲覧2017.12.21)
2) https://dictionary.goo.ne.jp/jn/66493/meaning/m0u/ (閲覧2017.12.21)
3) https://dictionary.goo.ne.jp/jn/66467/meaning/m0u/ (閲覧2017.12.21)
4) 山口義久: アリストテレス入門. 筑摩書房. 2001.
5) http://information-station.xyz/7203.html (閲覧2017.12.21)