題名:ヒトの時空間知覚における諸問題の一解法
報告者:ナンカイン
本報告書は、基本的にNo.472の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
報告書のNo.472にて、ヒトの心理的な時間の矢に関して、虚の時間を行き来するヒトの意識の無意識が存在し、それゆえに、ヒトが知覚する心理的な時間の矢は決して一方向性では与えられないことが推測された。ここでは、その考えを別の見方から推測し、ヒトの時空間知覚における諸問題の一解法を、物理教育者の橋元淳一郎氏の見解から探りたい。
橋元淳一郎氏は物理教育者で、科学評論家であるが、SF作家でもあるという一面を持つ1)。そのため、考えが非常に柔軟でありつつも、著書の根底には唯の空想ではない、物理学に基づいた根拠があり、とても刺激に満ち溢れている。橋元氏が考える時間論に関しては、文献2), 3)などがあるが、文献2)によると、時空に纏わる諸問題の一考えとして、「われわれの「意思」は刹那(橋元氏曰く、文献2)ではこれを生命体が秩序を維持する行動のコト(情報や関連)として想定されている)にしか存在せず、しかもその刹那は誰とも共有できない。時空の一点の事象にすぎないからである。「意思」はその狭い刹那の時空に生きているのであり、そこに過去も未来も、他の空間も存在しない。」と提示されている。これをミンコフスキー時空から捉えると、図のようになる。立っているヒトの位置が「私」であり、これが刹那となる。この考えで問えば、時間とは
図 橋元氏によるミンコフスキー時空2)
「「意思」の誕生が時間を創造し、そこに「生きる」という自由を得た存在が、現に存在する。」2)となる。ミンコフスキー時空については報告書のNo.297でも取り上げられたが、氏は時間を実数、空間を虚数として、
ds2=dt2-dx2-dy2-dz2
の式から時間を論じている。逆に、時間を虚数として我々のようにNo.270のようにも定式化できるが、いずれにせよ、時空における虚の問題は、この世界から外すことができない存在であろう。空間であれ、時間であれ、ヒトはこの虚の問題を宇宙に誕生した「意思」ある生命体として、それを意識の無意識により知覚している可能性も考えられる。すると、No.472でも論じたヒトの夢に現れる、過去に経験したことがない現象(実在のない非現実あるいは現実のない非実在)は、図における非因果的領域に存在する事象として、脳へ刺激された宇宙からの何らかの物質による別次元の表現とも推論できようか。ゆえに、「あの世」は「生きる」に抵触する「私」たちにとって、知覚できていない高次元からのメッセージとも見なすことができる。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/橋元淳一郎 (閲覧2017.5.14)
2) 橋元淳一郎: 時間はどこで生まれるのか. 集英社. 2006.
3) 橋元淳一郎: 時間はなぜ取り戻せないのか. PHP研究所. 2010.