題名:ネオジェネレーションな盆栽は、ミニ庭園と化す
報告者:エゲンスキー
古くからの日本の家屋には庭があり、その庭の一角には盆栽がよく見られた。それは日本の風物詩でもあり、盆栽は日本の心と感じる人も中にはいるに違いない。しかしながら、近年の日本の環境開発はどんどんとエスカレートし、自然の中に日本の風物詩を見つけることが難しくなりつつある(No.101も参照)。それは、日本人の心をも失うことに繋がるのかもしれない。さらに、それに呼応してか、古くからの日本の家屋も少なくなり、日本の家屋の特徴でもある縁側も少なくなり(No.57も参照)、日本的な盆栽もあまり目にすることがなくなった。作法としての生け花や英国式の鉢植えなどは、目にする機会があっても、今や日本的な盆栽は、一般家庭ではほとんど置かれてはいないのではないだろうか。
盆栽の特徴は、自然の風景を植木鉢の中に切り取って作り出すところにある1)。すなわち、盆栽の根本となる理念は、鉢の中に「自然」を縮小して再現することにある2)。一方、生け花は、切り花が中心で、鑑賞が目的とされ、英国式の鉢植えなどは、主に鉢内の草花の栽培が目的である。そのため、盆栽はある意味、箱庭的な要素が強く、その鉢の中で一つの自然の空間が完成しているところに趣がある。
その趣のある要素が、日本庭園(Japanese Garden)と通じるのであろうか。実は、海外では近年、「BONSAI」2)という名称で、この盆栽が広まっている。日本では失われつつある盆栽でも、海外では日本の美と歴史として、「BONSAI」として評価されている。
一方、盆栽の歴史をたどると、鎌倉時代の絵巻きには「鉢木」、「盆山」という現在の盆栽の原型が描かれており2)、この辺が日本の盆栽のルーツとなるようである。そのため、盆栽自体の歴史は長く、その伝統から日本では新しい試みも受け入れがたい風潮がある。それを打破したのが、マンボミュージシャンのパラダイス山元氏であり、氏が提唱したマン盆栽3)は、簡単に言えば、盆栽+フィギュアなどでデコレーションされた新たな盆栽の型式でもある。ただし、その形式から賛否両論があったようである。しかしながら、盆栽の文化そのものが日本から失われるよりも、それはそれでよいように感じる。少なくとも日本のアートディレクターである相羽高徳氏が手掛けた図の盆栽は、日本の新たなBONSAIとして、海外でも評価されている4)。ただし、ここまで極めるにはなかなか時間を要するが、キットとして売り出されている盆栽から、盆景、さらには、ミニ庭園として育てるのも、ネオジェネレーション(次世代)の盆栽の試みとして悪くはないであろう。
図 相羽高徳氏の盆栽4)
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/盆栽 (閲覧2016.7.7)
2) 依田徹: 盆栽 BONSAI. 角川学芸出版. 2015.
3) パラダイス山元: ザ・マン盆栽. 文藝春秋. 2002.
4) http://www.nylon.jp/blog/shiori/?p=4612 (閲覧2016.7.7)