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題名:ご飯の中のご飯を調べる
報告者:トンカツる

 「腹が減っては戦が出来ぬ」とは古くからのことわざであるが、その通りで、腹が減ってしまっては、体に活力が出ず、何もできない。まさに戦力ダウンとなる。そこで登場するのが、ご飯である。ご飯を食べると元気が出る。しかしながら、日本語でのご飯とは、米を炊いたそのものも指す一方で、惣菜なども併せてご飯とも呼ばれる。前者であれば、まさにご飯であり、後者であれば、ご飯の中のご飯となる。
 ここで、話題をがらりと変え、視点を漫画に移すと、漫画家、鳥山明氏の代表作の一つに漫画「ドラゴンボール」がある。その中心人物の孫悟空(そんごくう)の長男は、孫悟飯(そんごはん)でごはんである。その孫悟飯は、サイヤ人である父、孫悟空と、地球人である母、チチのハーフとなるが、悟空の悟(ご)に、飯(はん)でごはんとなり、母なのにチチとは、そこはかとない鳥山明氏のセンスが感じられる。ただし、鳥山明氏の場合は、努力によるセンス以上に、天才的なセンスを感じざるを得ない(No.268も参照)。筆者としては、実にうらやましい限りである。
 さらに、ここで話題を変えると、先の180°がらりと展開した漫画の話から、さらに180°話題を展開するため、話題そのものが360°一回転をしたことになる。すなわち、元の話題に戻る。ごはん繋がりであるが、ややこしい展開である。しかしながら、このようなややこしさと同じくして、ご飯は、ご飯であるのか、惣菜であるのか、それとも、ご飯の中のご飯であるのかが、分かりにくい。分かりにくいにも関わらず、「ご飯を食べに行きましょう。」とある人を誘っても、図のようなご飯はまずはない。ただし、これもご飯にプラスして、梅干しと漬物とみそ汁(中が見えないためにあくまでも想定)であり、江戸時代であれば、これでも間違いなく立派なご飯と言える。特にご飯の中のご飯の白米が、極上魚沼産コシヒカリであったり、梅干しも手作りのおいしい梅干し(No.11も参照)であったりした場合は、図の左のご飯の中のご飯のお椀だけでも、高級品となり得る。さらに、これを

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図 ご飯1)

日本一の和食の達人が炊いた白米と昔ながらの梅干しで作られた椀であったならば、日本一のご飯となり得る。ただし、日本一のご飯から、「梅干しが苦手なので」という人がいて、椀から梅干しを除いたとする。それでもご飯のままである。「梅干しが大好きなので」と、再び梅干しをインしたとしても、ご飯となる。さらに、漬物をプラスしても、またまた、ご飯となる。さらに、みそ汁の椀をプラスしても、またまたまた、ご飯となる。これが図の様相となる。さらに、この図に、肉の3大揚げ物の料理たる(No.221も参照)、カラアゲ、トンカツ、カツレツを1つでも、あるいは、3つともプラスしても、またまたまたまた、ご飯となる。ご飯はご飯のままであり、いくら追加しても、いくら削減しても、いくら醤油漬を追加しても、ご飯としての用語の地位は、揺るがない。とても不思議な用語である。そこには、ご飯に対する先人からの尊敬の流れがあるようであり、如何に日本では、ご飯を大事に考えていたかが伺えるようでもある。

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/飯 (閲覧2016.6.13)



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