.

題名:日本の温泉文化とこれからの温泉地の在り方
報告者:ナンカイン

 本報告書は、基本的にNo.148の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 No.148にて、世界の温泉の歴史について調査した。ここでは、日本の温泉の歴史を調査するとともに、日本の温泉地の在り方について問いたい。
 日本最古の温泉は、愛媛県松山市にある道後温泉とされる1)。その根拠は、法興六年十月にこの温泉に赴いた聖徳太子の石碑があるからである1)。ちなみに、「法興」とは日本の私年号の一つであり2)、孝徳天皇が制定した公年号の「大化」以前の話になるが、聖徳太子を讃仰する僧侶によって使用された年号3)とされているために私年号でも確証性が高いであろう。西暦で言えば591年から622年が「法興」とされている4)。そのため、聖徳太子が道後温泉に赴いた法興六年は、西暦で597年ぐらいになる。今から1419年も前の話である。
 それから、様々な場所に温泉地が現れる。日本の三大名泉は兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉、岐阜県の下呂温泉になるが、そのどれもが歴史が古い。有馬温泉は、孝徳天皇の大化時代からすでに有名であり5)、草津温泉は、鎌倉・室町時代から6)、下呂温泉は、室町時代から7)すでに温泉として名が知られている。しかしながら、その温泉の目的は湯治療養が中心であり、今とは随分と様相が異なる。温泉地に行くと気づく方も多いであろうが、日本各地の温泉地にはなぜか寺社が多い。それは、実は湯治療養の祈願のためでもある。すなわち、古から湯治客にとっては、いかなる有名な寺社よりも、大きな期待を寄せうる神仏が坐す聖地が温泉地として認識されていたのである1)。しかしながら、温泉地が行楽地となった現在では、湯治療養で温泉地を訪れる人は少ないであろう。特に、バルブ経済以後の日本は、物事の本質を見極めるよりも、表面上の豪華さに囚われ、豪華=素晴らしいと思うような図式が国民の中に芽生えてしまったのは否めない。それは、温泉地でも変わらず、温泉地にある旅館やホテルを軒並み拡大し、当時はいわゆる’ウハウハ’な状態であったに違いない。しかしながら、近年の温泉地の旅館やホテルの多くが、老舗と呼ばれるそれも、廃業に追いやられていることから、このままでは597年以降続いた日本の温泉文化が失われてしまう可能性もなくはない。そのため、今からの温泉地における考え方は、日本古来の温泉文化の立ち位置に戻って、温泉の本来もつ効能と神仏への信仰を一体として「湯治」という独特の文化感を大事にすべきであろう1)。
 温泉に共に入るいわゆる「裸の付き合い」は日本人にはなじみ深いが、外国の方には新鮮な目で写ることもある(No.107を参照.)。そのため、日本の温泉文化とは何かを問い、日本だからこその温泉の在るべき姿を将来に繋いでほしいと思うのは、きっと私だけではないであろう。

1) 日本温泉文化研究会: 温泉をよむ. 講談社. 2011.
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/私年号 (閲覧2016.1.15)
3) http://tokyox.matrix.jp/wordpress/日本の古代の年号/ (閲覧2016.1.15)
4) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1094412105 (閲覧2016.1.15)
5) http://www.arima-onsen.com/history.html (閲覧2016.1.15)
6) http://www.kusatsu-onsen.ne.jp/youkoso/bunka03.php (閲覧2016.1.15)
7) http://www.gero-spa.com/onsen/ (閲覧2016.1.15)



…「温泉をよむ」の品への案内は、こちらになります。


地底たる謎の研究室のサイトでも、テキスト版をご確認いただけます。ここをクリックすると記事の題名でサイト内を容易に検索できます。