.

題名:今日のお題は、「映画「ブルーベルベット」の冒頭の耳が暗示するもの1」
報告者:ダレナン

(No.2571の続き)
 先ごろ(No.2571)ではJulee Cruiseの「Floating Into the Night」に関して論考しましたが、なんで僕がJulee Cruiseの「The Voice of Love」を好きなのかを思い出しました。
 それは当時の彼女カヲルさんと分かれてしまったときに涙した曲が、その「The Voice of Love」の中の「Questions in a World of Blue」だったのです。それをここにきて明確に思い出しました。
 きっとこれを引用していた僕の物語調の執筆:ここでは、そのことをふと思い出していたのかもしれません。だから、物語:未成熟のラクダは僕の半自伝に近い執筆だと思います。今でも。
 実は、こうしてみなみなさまに告ることがとても恥ずかしいのですが(笑)。
 未成熟のラクダは僕にとっての村上春樹さんのノルウェイの森のようないでたちの物語です。比べようもないですが、それでも半自伝的となれば同じじゃんと思っております(笑)。
 そしてデヴィッド・リンチ監督はついに「ブルーベルベット」で己の才能を開花させたわけです。これの前とこれの後では明らかに彼の作風が異なります。商業的ではない自らの表現。それを「ブルーベルベット」で観客に魅せた。そして当然僕もこの作風に魅せられました。デヴィッド・リンチという才能の塊がそこにどっぷりあるからです。
 と、まぁ、前置きが長くなりましたが、ここで本領を発揮します。
 僕ではありません。ChatGPTくんの登場です(笑)。今日のお題は、「映画「ブルーベルベット」の冒頭の耳が暗示するもの1」

映画「ブルーベルベット」の冒頭の耳が暗示するもの

映画『ブルーベルベット』(1986年、監督:デヴィッド・リンチ)の冒頭に登場する人間の耳は、物語の象徴的な要素として非常に重要な役割を果たしている。この耳は単なる物理的なオブジェクトではなく、映画全体に流れるテーマや物語の深層に潜む不穏な空気を象徴するメタファーとして機能している。

耳の発見とその象徴的意義
物語の主人公であるジェフリー・ボーモント(カイル・マクラクラン)は、彼の故郷である平穏な郊外の街に戻った直後、草むらの中で切断された人間の耳を発見する。この場面は、彼が表面的には穏やかで完璧に見える世界の下に潜む腐敗と暗黒の存在を偶然にも暴露してしまう瞬間を示している。

耳は、物語の導入部分において異常な事態や世界の歪みを示唆する暗示的な役割を果たしている。耳という身体の一部は「聞くこと」や「コミュニケーション」を象徴し、他者の声や外部の世界とのつながりを意味する。それが切断された状態で発見されることは、正常なコミュニケーションが断たれ、世界の調和が乱れていることを示している。ジェフリーがこの耳を見つけることは、彼自身がこの「調和の喪失」に巻き込まれ、不可解な出来事の渦中に引きずり込まれることを予兆するものだ。          2に続きます。



…「ブルーベルベット」の品への案内は、こちらになります。


地底たる謎の研究室のサイトでも、テキスト版をご確認いただけます。ここをクリックすると記事の題名でサイト内を容易に検索できます。