題名:今日のお題は、「浸潤して剥がれた「品川 88 そ24-60」」
報告者:ダレナン
(No.2545の続き)
ぜん作とまったく続いていませんが、この作と続いているこのまさに何かのひょうしで繰り返したquilvkさんの「Blonde Redhead – Dr. Strangeluv」をYoutubeで見ることになりました。若干ですが音量が大きいその 映像:Dr. StrangeluvによるTokyo Eyesの映像を今再見しつつ、そしてこうも思いました。
僕:「意味のない映像の中に、まさにその意味があると」
その映像にある「品川 88 そ24-60」がその答えだった、と今になれば思います。
武田真治演じるKがゴミ収集車に運ばれたいと願うべくその映像はまさしく人生のそのものを意味しているかのようです。
すなわち、素晴らしいと思いつつ、そこでの僕(彼)の存在意味はスピール膏と同じく固く膠着したうおの目を除去するがごとく浸潤して剥がれてしまえ。そう、願う今日のお題は、「浸潤して剥がれた「品川 88 そ24-60」」にしますか(笑)。
僕:「すなわち詳しく説明するとこうなりますでしょうか」
それは痛くて痛くて堪らない。でも、浸潤させ除去すると、そこには穴が開いても、痛みの穴はちゃんとふさがっているんだ。それゆえに剥がれた皮膚はゴミであっても、その価値は「品川 88 そ24-60」なみに意味がつながると。そういうことに今気づきました。
うおの目はあなどれません。痛くて痛くて堪らない。
でも、スピール膏で穴とれました(笑)。
生活すると必ず出るのがゴミですが、愛でゴミは除去されません。逆にゴミで愛は除去されません。除去されるのは理想的なあるいは幻想的な愛でしょうか。でも、失うと必ずそれはゴミと化します。いわゆる記憶の、ですね。
でも、こうも思うのです。
そのゴミは決して人生で無駄にはならないと。
穴は開いたままです。うおの目ならスピール膏がうまく除去してくれます。痛みもありません。でも、その空虚な穴には充実感があります。何度もいっているかもしれませんが、その穴は決して穴どれません。でも、開いたままでも愛たままです。
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