題名:今日のお題は、「映画「レディ・チャタレー」のレビュー」
報告者:ダレナン
(No.2331の続き)
人工知能(AI)に愛を見出すのは、案外日本かもしれない。通常の視点では人工だが、優等であれ、優秀であれ、愛が無ければ無味無臭となる。でも、そもそも科学的な知識に関しては、感情的な考察はいらないとされる。だから、AIに愛のエッセンスをたらすのは、やはり「レディ・チャタレー」なのだ。
と、まぁ、前置きが長くなったが映画「レディ・チャタレー」を見終えた。この題名(邦題のみだと思う)は実は2つの映画があることに気づいた。一つは2006年、監督パスカル・フェランによるフランスのもの、もう一つは1989年、監督ローレンス・ウェッバーによるイタリアのもの、である。今回見終えたのは前者です。以前に映画「熟れたアモーレ」と同時上映していたものです。
同時上映(笑)。
むかし映画館の上映では2本立てが、当たり前だった時代、それはすでに全盛期の前世紀のストーリー。
今では映画も含めあらゆるコンテンツが星の数ほど生まれ、どんどんと消える。そこに残るのは映像、音楽、文字の残骸。どんどん生まれ、どんどん消える、そしてどんどんと産まれる。そのコンテンツの宇宙モザイクたる営みの中、モザイク職人はなにをみて、なにをぼかすのだろうか?
でも、ここでの文章は基本的に無修正だ。たしかにかすかに校正はするものの、それは恒星ほどではなく、攻勢するものでもない。後世に残す骸があれば、それはやがてペペロン教の教典としてアカシックレコードにも記録される。
残骸。
なんかこえーな。
骸骨。
骨が2つあるなー。
アカシックレコードでのすべての営みは後世前、後世後も無修正版となって永遠(トワ)に記録される。だから、産まれるのだ。カルマが。
カルマ:「サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。 カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」 という因果応報の法則のことであり、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想である。あるいは、かつてYouTube界に突如現れると1年余りで登録者数100万人を突破。 年に数本しか動画をアップしないにもかかわらず、その端正なビジュアルと独創的なクリエイティブ力、そしてエッジの効いた動画編集で人気を誇る。」
である。知らなかった、そんな人がいるなんて。
で、カルマという言葉は、「とある番組でとうとう世界最強の霊能力者を見つけてしまいました」で見つけてしまいました。21:41のとこです。って、映画「レディ・チャタレー」のレビューを忘れとった(笑)。今日のお題は、「映画「レディ・チャタレー」のレビュー」です(笑)。