題名:今日のお題は、「僕自身が巣喰うダニ以下」
報告者:ダレナン
(No.2314の続き)
宇宙人神さまーんに{ますかきの極意}を伝授してもろた。それは独自性の追及でもあり、ゴッホの絵画のようでもあった。
ゴッホゴッホと僕は咳をしつつ、「そうだ。この文章がうまくなくても、うま味があればきっとかならず後世に残るものとなるかもしれない」と感じた。セオリー通りでなく、独学でもいい、”作品に温かみや愛が込められれば、きっと愛される”(1)。
生前はまったく評価されなかった、生前に売れた絵は『赤い葡萄畑』の1枚のみだったと言われているフィンセント・ファン・ゴッホ(2)。それでも今では画家として「炎の人」でもあるゴッホ。
と、ここまで執筆して、ゴッホと列を並べること自体に間違いがあるような気がして、ペン(キーボード)が進まなくなった。そこで、ゴッホについて調べていると妻の成美によばれた。片付けしたゴミのことを問われた。どうも必要以上に大事なものも捨ててしまったようだった。成美が困っていた。僕はとても責任を感じた。僕がいるからこんなことになるんだ。僕は○んだほうが世のため人のためになる。そう思い始めた。
僕は僕なりに努力していても、他人と考えが違う。それは自閉的だからだ。自分の中で解釈するも、自分の中で完結して、それが人との間の考えで間違っている。噛み合っていない。僕は生きていても仕方ない。
今朝に、いろいろなことに感謝して、「一切を感謝と漢気に振り替えていく、そして観念要素の更改を、念を入れて一生懸命やって、心の中に巣喰うダニを追い払ってしまうこと」(3)と読んで納得していたはずなのに、その言葉はまったく頭に入っていなかった。
もう、僕は、どんなに勉強をしたところで、すべての{み心}がブラックホールにすいこまれてしまう。{御心}ではなく、{未心}だ。心がなってない。僕自身が巣喰うダニ以下だ。今日のお題は、「僕自身が巣喰うダニ以下」。
「生きているだけで無駄遣い、生きているだけで無価値」
どっちも無がついている。僕は僕という人間の人生を無にしたかった。僕はいったい何をしているんだろうか。こんな文章を書いて何をしているんだろうか。でも、書くことで気が収まるなら僕はどんどんと{ますかけ}しないといけない。でも、本当にこの執筆に何の意味があるのだろうか。
宇宙人神さまーん:(ますかけ、ますかけ、おもいっきりますかけー。ち〇こーマンよ)。僕の品そな頭の中で宇宙人神さまーんの声がかすかに響いていた。何とかしないと、でも何にもならない。
(1) ゴッホ 真実の手紙 (字幕版)
(2) https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホ
(3) 中村天風:運命を拓く