題名:いま、まさに、魂は投げられた -在原業平の思考から-
報告者:ナンカイン
本報告書は、基本的にNo.1029の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
先の報告書にて、在原業平朝臣による百人一首の17番の歌、「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みつくくるとは」を提示するとともに、その現代解釈も記述した。この歌には、単純な解釈には留まらない在原業平の恋愛に纏わる背景があり、そこでは、まさに在原業平の魂が投げられた、ともいずる事があったことも判明している。当時の在原業平は、枕を濡らし、時に、その枕を投げつけるとともに、どのように魂が投げ出されたであろうか。それは、枕投げならぬ、魂投げへとつながる思考でもある。そして、思考を記述する言語、歌は、いつの世でもオワコンにはならない。そうして、画像/映像よりも、言葉が思考とともに刃を振り始める。その刃は、深く読み解けば読み解くほど、こころに突き刺さる。その時、言葉は、映像/画像よりも強し、となる。
在原業平は光源氏のモデルとも言われ、「伊勢物語」の主人公とも言われている。現代で、彼のそのイメージを具体化すると、図のようになるのかもしれない。めっちゃ、イケメンである。しかしながら、体格や容貌が上品で美しく、歌を詠むことに秀でていたものの、わがまま無作法なふるまいをする性格で、毀誉褒貶を顧みず、当世の不条理なところに憤慨していたとのあまり良くない性格的な見解も得られている1)。ただし、そのように伝えられた裏には、天皇に代わって朝廷を支配しようとする藤原家の策略ともされ、在原業平は皇親の立場で、実は最後までそれに抵抗した英雄でもあった3)。そして、その行動には、大きく3つあり、①在原業平の父にあたる阿保新王が承和の変に関わる、②在原業平が文徳天皇の皇子で藤原家の血をひかない惟喬親王の後押しをする、③在原業平が清和天皇の后になる予定の藤原高子と恋仲になる、である3)。この3番目のいずる事が、先の歌に繋がる。これは、藤原高子の「御屏風」を見て詠まれた歌とされ、藤原高子の命を受けて同時に詠進し、藤原高子に対する「神」にもまさるすばらしさをほめたたえた歌とも考えられている4)。
図 在原業平1)
ただし、その経緯には、「伊勢物語」の中に、二人の恋愛のいきさつを伺わせる話がある。文献5)に詳しく記載されているが、それを抜粋すると、業平の高子への懸想が、歌とプレゼント(海藻)によって両想いとなった。ある夜のこと、二人でこっそり内裏を抜け出し、業平は高子を連れ出した。しかしながら、高子の二人の兄、堀河大臣基経と國経大納言という鬼によって、高子は業平からむりやり引き離される。そして、業平は従五位から従六位に降格され、東国に追放され、高子の方は蔵の中に籠もって身をよじって泣く、のである。きっと純粋な二人の恋愛は、政治的な策略で強引に引き裂かれたのかもしれない。もしかすると、もしかして、業平の魂(くれないの魂)は、今でも「ちはやふる」に込められていることが、ここで投げ出されたのである。
1) http://neoapo.com/images/character/22601/5dbbfb944307fedbee1fb09f9bc23200.jpg (閲覧2019.1.4)
2) http://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/在原業平 (閲覧2019.1.4)
3) 武光誠: 真説日本古代史: 通説を覆す「逆転」の発想. PHP研究所. 2013.
4) 山本登朗: 「神代のことも思ひ出づらめ」 -在原業平の和歌と神話-. 礫 170: 16-19, 2000.
5) https://jama103dajo.at.webry.info/201012/article_1.html (閲覧2019.1.4)